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「脳転移」と友とわたし㉛「ひっこしは 本当にする?」ICUでの日々。


救命センターに入院していた友。
数日後ICUの四人部屋へ移動した。

友は2018年12月30日に亡くなりました。
看取りとその後はこちら→https://sarah51.exblog.jp/i31/

ほとんど会話をしなくなっていた友だけど、
病棟スタッフの筆談には必要範囲
応じるようになっていた。

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それでも、「生きる」という
気持ちが弱くなっているのか、
何も荷物を持ってきてほしくないようで、
必要な水も500mlのペットボトル2本。
その2本だけ買ってきてと言うだけで、

念のためと1本多く買ったり、
おやつなど持って行くと
押し返すようにして断ってきた。

4人部屋の廊下側のベッドの上にいるか、
脚をおろして座っているか。

人と会うことに非常に恐怖感を
あらわにしていた友は、
面会中もカーテンがほんの隙間でも
開いているとまるでゴキブリでも
見たかのような怯えた顔で、

じっとその隙間を見たり、
カーテンの下から同じ部屋の
患者さんへ向かう医療者の脚が
見えると、ずっとそれをコワゴワと
覗いて目で追っていた。

それでも10月4日の引っ越しを
私は進めてることや、
段ボールに何を入れたよとか、
色々な確認も必ず友に聞いてから
するようにしていた。

最も大切な確認。

それは11月に予定していた
友の個展だった。

「翠」

という名前で曼荼羅アーティストとして
活動していた友。

子宮頸がんはまさにその活動を
広げようとしていた矢先に見つかった。

この個展は彼女が病気と向き合い、
何よりも描きたいと思って
つらい治療もリハビリも乗り越えて
また新たに生きていこうとする
その力を持つものだった。

だから開催できるようにしたい。

でも、私にはもうそのこと自体が
友にとって負担でしかないと
思っていた。

個展をするには本当にたくさんの
確認事項があって、1つ1つ
色々なことを考え、希望を聞き、
自分で決めていかないといけないことが
たくさんある。

でも今の友にはもう、
それはただの負担でしかなく、
友のやりたいことでないと感じていた。

アーティスト「翠」には
相方の「ソルト」さんという人がいて、
2人のアートを融合させた、
「幻想まんだら」という作品があった。

このソルトさんに作品展をお任せすることにし、

私は「山口泰美」という人を、
そして相方のソルトさんには、
アーティストとしての「翠」の
面倒を最期までみてほしい。

ソルトさんと私は友がいつまで
生きていられるかわからない中で、
お互いにお互いができることを
彼女の人として、アーティストとしての
命を預かる気持ちで取り組むことにしたのだ。

友にそのことを伝えた後、
作品についてどうすればいいか。
書いてもらった。

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そしてこの日以来、私は個展に関しては
お任せすることにして、
友の日々に時間を使うことにした。

数日後友はふいにこう書いてきた。

「ひっこしは 本当にする?」 

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「行くよ、行けるよ」

私は笑顔で友の顔を覗き込み
そう答えた。

それ以外、何をするっていうんだ。
必ず友は退院して家に行く。

私はそう信じてた。 

10月4日、

そして友の引っ越しは
友がICUにいる間に無事終わった。

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友が好きなブルー系のモロッコ模様の
カーテンを新しく新調して。

いつもゴキブリ見たかのように
驚いて怯えた顔をしてるか
貞子のようにどよんどよんと下を向いて
座っているか。

私のスマホを覗こうともしなかった友だけど、
このカーテンのついた部屋の写真を
見せたらチラっと。

チラット見たんですよ。

その日私はニヤニヤニヤニヤしながら。
見よった見よったよ。
と嬉しくてですね。

翌日5日、婦人科の主治医との
再発転移がないか診察を受ける前に
友に良い兆しが見えたことを
喜んでいたのでした。 

つづく 


# by sarah_51 | 2019-03-08 21:24 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし㉚「暗闇」 


10月1日、友はまるで自ら生きる力を
放棄してしまったかのようにICUに入院した。

友は2018年12月30日に亡くなりました。
看取りとその後はこちら→https://sarah51.exblog.jp/i31/


翌日、私と一緒に介助してくれてた
弥生さんとでICUに必要なものを届けに
入ってみると。

広いICUの仕切りのない部屋に、
友はベッドに座ってじっと動かず、
下を向いたまま。

一言でいうとその様子は、

「貞子がそこに座ってる」

かのような様子で、
漫画とかでは顔に縦線がついて、
どろどろした雰囲気の様子って
見たことがあったけど、

ほんとにそんななる人を初めて見たわ、、
っていうほど妖気出てます?
っていうほどおどろおどろしい雰囲気だった。

事前に私は脳外科の主治医と会い、
今回の緊急入院について
脳のCT結果など詳細を再度聞いていた。

おでき先生(脳外科医の友がつけたあだ名)の
話では、特に脳の出血や脳転移の拡大など
病的に変化はないようだとのことだった。

でも1つ先生が実はね、、、、と
言ってきたのは、

「リハビリの病院へ転院した時に、
 どうもステロイドの量を先方が誤って
 多く出してしまってたみたいなんだよね。。。」

と。。

つまり、例えば5mgのステロイドの量だったのを、
転院した際10mg近くに増えており、
そのことを知らなかったおでき先生は、
退院後ステロイドを減らすのに、
5⇒4⇒3と減らしたつもりが、
一気に10⇒4⇒3と減ってしまい、
そのことで痙攣などが出たのではないか。

という話だった。

なるほど。。

それもあるかも?
とは思うものの、
「先生、彼女うつが再発してないでしょうかね」
というのが私の問いかけだった。 

なぜなら、友はそもそもリハビリの病院へ
転院する頃からやたらと人を遠ざけており、

メールもメッセンジャーもFBも
さらにはツイッターなどすべてのSNSを
絶っていた。

それだけではなく、お友達らが何か
「手伝うことはない?」
なんて言おうものなら、
非情に強い抵抗を示したし

「誰にも会いたくない。」

という気持ちが日に日に強くなっていた。
合わせて、突如として、

「自分は何かとんでもないことをしたのでは?」

という恐怖感のようなものを
話すことがあって、それはちょっと
領収証がどこかへいったとか、
別に大したことがなくても、

「自分は犯罪者だ」

ということを言うこともあったからだ。

どんどん自分を追い詰めてる。。

そんな印象を少しずつ少しずつ
もっていたのだけど、
それがついにコントロールできなくなって
しまったのではないかとさえ
思うほど、友は心を閉ざしてしまった。

それはどれくらいかと言うと、

ずっと介助してきた弥生さんでさえ、
「ずっと無言で怒ってるのかと思うくらい、、」
と用事が済んだら返事も何もなく、
問いかけに返事もないとのことだった。

でも・・。

10月4日に友の引っ越しがもう決まっていた。

どうするか・・。
引っ越しできるか。
それともこのまま入院生活になってしまうのか。

すでに契約も済ませ、引っ越し業者との
やり取りや生活保護課の方への連絡など
様々な手続きが終わっていて、
あとはもう引っ越すだけという状態だった。

私はとにかく友に聞こう。

そう思って引っ越しが4日だけど、
準備そのまましていっていいかな。

と聞いてみた。

返事は下を向いたまま、

「どうでもいい」

と言っただけだった。

まぁ、そりゃそうよね。
今ICUだしー。
それどころじゃないわなぁ。

と思った私は、

「じゃとりあえず私やっておくね」

と書いておくにとどめた。

どこか私の中に、
「どうでもよくない」
友の気持ちがあるように思えて、
「引っ越ししない」
という選択肢が浮かばなかった。

それよりも導尿(おしっこを管で出している状態)
されたことを何か怒っているようだと
看護師さんからあり、友が何に怒っているのか。
わかりますか?

と尋ねられ、

「あ。子宮頸がんの術後から自分で出せなくなってたんですけど、
 少し自分で自尿が出るようになってきてたんです最近。
 だからまた導尿になってしまって、
 もう1度最初からやり直しになるのが怖いのかも」

と答え、友に筆談で一人で立てるようだったら
導尿はなくなること、1,2日ならまたすぐ
感覚が戻っていくから心配いらないことなどをお
説明してあげてくださいとお願いした。

筆談なら見たい時自分で読むだろう・・・。

脳になんら問題がなかったと聞いて、
私はなんであれ普段通り友と接することを
心に決めて日々過ごすことにした。

そして携帯を見ようとするたび、
ぶるぶる手が震え、目が飛び出したような
表情で怯えている友を見て、

「携帯持ってようか?」

と聞くとおずおずと渡してきた。

それはお願いしますという感じではなく
何かばっちいものを早く、早くどこかにやって!
という感じでぶるぶるしながらだった。

「大丈夫。もうカバンにしまったよ」

帰り際、私は友をハグしたけど、
反応はなかった。

でも少なくともなんとか私は
コミュニケーションが取れるようだった。

とにかく、

①友の知り合いには面会謝絶を伝える
②引っ越しをする
③退院後のケアについて調整する

という3つをすることにして、

一切友の引っ越し先や
状態についても見せないことを決めた。

なぜならそこには、
普通のお友達が想像するような
友はどこにもいなかったし、

きっと友も自分ではないと
思っていると思ったから。

とにかく友を守ろう。

そう思って着々とことを
進めることにした。 

つづく 







# by sarah_51 | 2019-03-06 16:55 | 医療と健康  | Comments(0)

さあらさんと行く♪世界のランチ会「バングラデシュ」開催報告 


今回の世界のランチ会はバングラデシュ。

福岡では知る人ぞ知る名店で、
スパイス好きな人はこぞって
通っているというお店です。

「ハイダル」

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細い道の住宅街にあるお店ですが、
バングラーの国旗が下がっているので
すぐわかるかもです。

中に入ってなんかすぐ感じたのは、
お見せの中がすごく清潔感がある。
ということでしょうか。

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参加者の方が「土足で大丈夫ですか?」
と思わず聞いてしまうほど床もテーブルも
ピカピカです。 

いつも床拭きまでしてるとか。

でも店内は暖房を入れてる感じがなく、
なんかちょっと肌寒い本日、、、
氷たっぷりのお水も出てきたし。

と思っていたのですがとりあえず、
本日1人前しかない「海老カレー」と
本日2人前しかない「天然鯛カレー」を
頼むことに。

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パクチーが苦手か聞いてくれます~。

器も素敵ですが、
すごい本格的なカレー!!

スパイスと辛さで半分も食べないうちから、
もう体がぽかぽかに!
氷水でよかった!その方が絶対よかった!
暖房も入ってたら大変だった!笑 

というほどあったまって美味しかったです。
でも結構ピリピリ辛い。

先に出してくれるサラダを
いっしょに食べたり、
トッピングでチーズなどを
お願いするとマイルドになるらしいです。

サラダも美味しかった~
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5月で日本に来て20年になるというハイダルさん。

最初は大学生として日本にやってきましたが、
当時は日本人は「バングラデシュ」といっても
全く知らない人がほとんどだったとか。

外国人でアパートやお店を借りるのもとても
大変で、色々と苦労もあったようです。

もともとしていたフェアトレードの会社を
しながらカレーの販売をしていたら、
なぜかカレーが有名になってしまったというから
おもしろいですね。

店内にさりげなく吊るしてあるカーテン生地。

触るとものすごい柔らかくてシルクのよう、、、、。
綿だそうですが、ものすごい高品質。

店内にもかわいらしいデザインの
刺繍や雑貨などが売っていましたよ。 

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あんなに辛いなと思って食べたのに、
不思議とお店を出るころには
何でもなくなっていました。

元気がでますね!ハイダルカレー!

▽ハイダル 食べログ 

▽ハイダル FB 


次回のランチ会は4月24日です♪ 

おしまい 


# by sarah_51 | 2019-02-27 22:10 | 世界のランチ会 | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし㉙「恐怖と逃避」


自らのルーツを知った友。

友は2018年12月30日に亡くなりました。
看取りとその後はこちら→https://sarah51.exblog.jp/i31/

 

翌日友は朝から様子がおかしかった。

友は全く耳が聞こえない。
1歳の頃髄膜炎で完全に聴覚を失ったからだ。

でも私たちは毎日のように
メッセージでやり取りしていて、
その間合いや、言葉の使い方、
テンポや絵文字などの使い方など

色々なことから様子や気持ちを
察することができるようになっていた。

明らかに様子がおかしい。

そう思っていたが、
家に行こうか?と聞くと、

いや、いい。

という返事。

本人の意思を尊重したかったので、
行くことはあきらめたが、
その日友は午後から手話通訳ができる
弥生さんとランチに行く予定だった。

そのため、もしもの場合に
すぐ連絡をくれるよう弥生さんに状況を
伝えて友を託すことに。

前日奇跡的に会話も移動も
普通のようにできていた友だったが、
そのさらに前の日までは手の震えや
体の動かしずらさがあったので

ステロイドを減量し始めた友にとって、
万が一脳出血やけいれんなどの症状が
出るといけないと思っていた。

弥生さんが迎えに行くと、
友は脚を引きずるようにして出てきて、
どう考えても様子がひどかったらしい。

でも出かけるという友。
どこへ行きたいか弥生さんが尋ねると、
指文字で、「う・み」と答えたと。

手話にはアルファベットのように
1文字ずつ表現する指文字があるけれど、
普段の友なら「海」は波を表現するような
手話で楽し気に伝えるはず・・・。

弥生さんもそのつぶやくような様子に
不安があったようだがとにかく
連れていってくるということで。

私と弥生さんは友の様子を途中途中
やり取りしながら経過を見守っていた。

海へ行き、じっと海を眺めていたという友。

ランチにはブルブル震える手で
ポテトを食べてたらしい。

その様子に胸騒ぎがしていた。 

「弥生さん、病院で待ちああせできないかな」

帰りにそのまま自宅へ送るのではなく、
病院に連れてきてもらい、私とそこで
バトンタッチしよう。

そう提案したものの、
友がどうもそれはいいと言っているようで・・。

うーん、うーん。
そんな場合じゃない気がする。

そう思っていた矢先、
弥生さんから電話がかかってきた。

「さあらさん、やっぱり様子がおかしいみたい、、、」

助手席に乗せて移動しようというところらしかった。
手の震えがひどく、コミュニケーションも
だんだん取れなくなっているとのこと。

「呼吸はどう?反応はある??」

最悪の事態を考えての質問だった。

それは問題ないとのことで、
救急車を呼ぶように伝えたけれど、
そのまま連れていけそうだというので、
病院で落ち合うことに。

私はすぐ主治医の病院に電話し、
救急外来にかかりたい旨を伝えて、
急ぎ病院へ向かった。 

病院の救急外来入り口で私は
車いすを用意して待っていて。

弥生さんの車が到着してドアを開けると、
友の顔は真っ赤で手が震えていた。

さっとおでこに手をあてて、
熱がありそうと確認した後、 

立てる?

と聞くと移動しようとした友だけど、
脚が麻痺したようになっていて、
ぐにゃりとなっており支えて移動した。

弥生さんは家族の迎えがあるので、
あとは私が付き添うけん、大丈夫。

そう伝えて救急外来へ。

カバンから保険証や何やら出しながら
友に話かけるも、

ぎゅーーーーっと目をつぶってしまい
私の手話も口元も何も見ないため、
何も伝わらない。 

右手はものすごい痙攣で肘も
曲がったまま伸ばせない。

反対の脚は麻痺したかのように
脱力していて車いすから
落ちてしまっていた。 

なんとか肩を叩いて目を開けるように
伝えようとするけど全くダメ。

でもこの時私は、

「何かおかしい」

そう思っていた。
脳内出血が起きているなら、
その兆候と友の症状は
一致しなかったからだ。 

そう思った時、名前を呼ばれて、
救急外来の中に入ると脳外科の担当医は手術中とのこと。
若い先生が対応してくれた。

すぐに、

「身元引受人の今村です。」

と伝えた後最近の様子に加え、
今朝からの様子、昼のランチ中の様子を
弥生さんから聞いたものすべてを伝えた。

そして、

「先生、脳の問題か、心の問題か、
 両方から検査をお願いします」

そう伝えた。

痙攣をおこしている以上脳出血がないかなど、
脳転移の様子をまず検査してもらい、
それ次第で次を考えようということに。

先ほど立てた友はもう移動は一人で
できない状態になっていた。

一旦外に出て待っていてくださいと言われ、
検査が終わり、再度呼ばれて中に入った。

すると、カーテン越しに看護師さんが、

「やまぐちさーん、わかりますかー??」

と言っている。

カーテンを開けるとそこには、
先ほどの様子とは全く異なり、

瞳孔が開いたかのようにぼーっと
天井を見たまま、両手足すべてが
脱力してしまっている友がそこにいた。

看護師さんと医師から同時に、

「すみません、コミュニケーション取れますか?」

と言われた。

ちきしょう。
私が医療者じゃなかったら
こんな時にこんな状況見せられて
コミュニケーションなんてとれるか。

一瞬そう思ったけれど、
さっとすぐそばのモニターを確認した。

血圧と脈をみるためだ。
低い。 

目の上で手をかざしてみるが反応は
全くない。

試しに看護師さんと同じように
肩を叩いて同時に目の上に手をかざしてみる。

ダメだ。全く反応がない。

でも絶対わかるはず。
わかっているはずだ。

彼女は脳内の問題はない。
恐らく心の問題だ。

私の中にどこか確信があり、
友の手をとって、
自分で自分に手話をするように、

「ここは病院だよ」
「もう大丈夫」
「さあらだよ」
「わかる?」

とやった。

反応はなかったけれど、
そのままなんとか私と
わかる方法を取りたい。

そう思った時、
思い出したのだ。

友が子宮頸がんの手術後
麻酔から目が覚めるとき、
私がとった方法を。

看護師さんとはちがう。
私なりの友へのサインを。

そしてそれで友は、
「あれですぐわかった」
と言っていたその方法を。

そして私は、「ヤスミ~ン」
といつも通りに話しかけ、

眉の間のおでこの辺りを
こしょこしょくすぐった。

その次の瞬間、

友の目じりがじわ~~~っと
赤くなり、涙がにじんだ。
目が焦点があったのがわかった。

看護師さんが先生に向かって、

「意識戻りましたー。」

と言い、私はそのまま再度、
友の手を取って手話で、

「今、病院だよ。
 これから入院するよ。
 わたしも一緒だよ」

と声に出しながら伝えた。 

友がうんと小さくうなずいてくれた。

アルハムドリッラー!
アッラーフアクバル!!

「先生、本人に伝わりました。」

そう担当医の方を振り向くと、
白い紙に同じことをマジックで
書いてくれてた医師が、

「もうこれいらんかなー笑」

と言ってくれて、
ヤスミン、先生書いてくれてたよー!
よかったねー。移動するよー!!

と伝え病棟にあがることになった。

検査の結果、脳転移などは特に問題なかった。 

弥生さんは後でこの日のことを、
「あのまま死んじゃうかと思った、、、」
と言っていた。

それほどその様子はとても大変だった。

でも生きていることの方が
大変かもしれない。

友はここから深く深く、
真っ暗な谷底に自ら落ちてしまったような
日々を過ごすことになる。

まるでその人格を失ってしまったかのように。

つづく 



 








# by sarah_51 | 2019-02-21 20:59 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし㉘「自分のルーツを知る」


「シャハーダします」
とメッセージが来てイスラム教徒に
なることを決めた友。

友は2018年12月30日に亡くなりました。
看取りとその後はこちら→https://sarah51.exblog.jp/i31/



イスラム教徒になるには
儀式とかなくどこででもなることは
できるんだけど、

ただできれば、
男性2名の前で友が書いてた言葉を言い、
証人となってもらうのが望ましい形です。

またもしハッジ巡礼などサウジアラビアや
結婚などをする場合には、
その人が本当にムスリムであるのかを
証明する「入信証明証」をモスクなどで
出してもらう必要があります。

こんなこと言ってはなんですが、
この時私はふと友が「亡くなる時」のことを考え、
モスクの人に会っておいてもらい、
入信証明証を出しておいてもらった方が
いいだろうと思いました。

なぜなら友は家族と絶縁していますが、
まだどこかで生きてらっしゃる可能性もあり、
彼女が自らシャハーダしたこと、
そして周囲のムスリムたちへも
そのことを知っておいてもらう方が、

亡くなった時スムーズに埋葬など
可能になるのではと思ったからです。

とりあえず連絡してみよう。

そう思ってモスクの事務員さんに
状況を伝えて再度シャハーダの
手続きがいつできるか聞いてみたところ・・。

「今日これから来れますか?」

という返事だった。

イスラム教には聖職者はいません。
神の前では全ての人が平等であり、
神と個人の間に何人も入ることはない。
というものなので、

誰でも2名男性(女性の場合は男性より少し人数が多く必要)
がいればいいのですが、モスクには
イマームという礼拝などを先導する知識ある人が
いるのでその人がいる時にすることが多い。

予定がいろいろ詰まっているようで、
今日だったらいいよということだったのですが。

その日の天気は、、

「思い切り台風・・」

すごい風で福岡にも上陸なのではー
なんていう話もあったのだけど・・。

仕方ない。準備していくかってことで。

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車の中で着せてみた笑。

入信証明証に写真が必要なので、
まずはこれかぶって写真とるぞと。

当たり前だけど、
「人目が気になる」
らしく・・・。

なんか怖いだの、緊張するだの
言っていたけど、横に同じように
かぶってる私がいるので、

どうせ見てても私だろう。
わっはっは。
とか言いながら証明写真のとこに
押し込んで写真を撮った。

台風の風は強かったけど、
雨はそれほどでもなく。

モスクに着いたら
イマームと事務の外国人2名が
待っていてくれ、うちの旦那さんの
3人で立ち会うことになった。

私は以前このモスクで女性の代表を
していた時期があり、イマームも事務の人も
お互い共に活動をした良く知る人たちだ。

イマームは簡単なあいさつの後、
私は彼女が耳が全く聞こえないこと、
通訳をノートで同時に私が書き込みながら
したいことを伝え、快くOKをもらった。

そしてまずヤスミンに、

どのようにしてイスラームに出会ったのか。
そしてシャハーダをするにあたり、
何か聞きたいことなどありますか?

と聞いた。

私は友にこないだのことを話すねと伝え、
イマームに、

「実は彼女にはガンがあります。
 そして・・」

私はそして「それは末期の状態です」
と言おうとして思わず涙ぐんでしまった。
言葉に詰まってしまったのだ。

友は私の声は聞こえるはずがない。

私はイマームに向いて話しており、
私の口元も見えない。

でも友は私が涙ぐんでいることを
即座にわかったようで、顔を覗き込み、
何を言っているのかわかったようだった。

私も友のことを誰かに話すのに
涙を流したことなどなかったので、
一瞬ひるんでしまったが、
気を取り直してその続きを話し、

余命を告げられたこと、
その後2人で長い長い時間を過ごしたこと、
非情に混乱の中にあったこと、
ところが今朝彼女は探し物が私の手元にあると知り、
アッラーのご計画を感じたのだということ。

全てはもう自分が安心できるよう
取り計らわれているのだとわかり、
心から安堵し、シャハーダすると決めたこと。

などを伝えた。

そして友の方を向き、
「何か質問したいことあるかな?
 なんでも大丈夫だよ」
と言うと、

「私はアッラーを感じたけど、
 でもそれ以外何も知識がない。
 それでもイスラム教徒になって良いですか?」

という返事が返ってきた。

「もちろんです」

という言葉の後、
そこから私は何ページにもわたって、
イマームと彼女の間で話された内容を
同時通訳で書き続けていた。 

これはそのほんの一部。

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イマームの話は英語とアラビア語で、
友は彼の話を聞きながら徐々に
リラックスしていくようだった。

そして十分友が納得したとき、
イマームは、シャハーダの方法を
紙に書いてもいいし、なぞってもいいし、
友のやりやすい方法でどうぞと言った。

あとで友はこのことをとても喜んでいて、
初めて会うヒゲもじゃのブラザーの
この自然な配慮にとても感謝していた。

友は耳が聞こえないことで、
今までたくさんの苦労をしてきたからだ。

そして友は自分で、

「さあらさんの言う後について
 自分でも言う。
 間違えたくないから念のため
 ノートに言葉を書いてそれを
 見ながら両方でしたい」

と声に出すこと、文字をなぞっていくことを
選択しシャハダーをその場で行った。

その後入信証明証へサイン。 

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友がスラスラと書くその様子を見て、
「なんて美しい字を書くのでしょう」
とイマームは眺めていた。

友は書き終えてすぐ私を見て

「わたし、震えてないね」

と驚いていた。

これがその時の友のサインです。 


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そしてモスク側の印鑑などを押してもらっている間、
イマームが友の名前の漢字の意味について
聞いてきました。

彼は外国人で漢字が読めないのですが、
漢字には意味があると聞いてますと。
人によっては親御さんが名前に願を込めて
つけると聞いていますが彼女は何か聞いていますか?と。

友にそのまま尋ねると、

「聞いたことがない・・・」

という友。

泰美の美はビューティフルって意味だよね~と
言いながら、うちの旦那さんにその場で
ネット検索してもらうと、、、。

「平安って意味らしいね」

という旦那さん。

それを聞いて友以外私たちは、
わぁ、、、スブハーナッラー(アッラーに讃えあれ)
と同時に言ってしまい、

友がなに?どういうこと?
という顔をしているそばでイマームが、

「平安はアラビア語でサラームと言って、
 それはイスラームという意味です。
 つまりあなたの名前は「美しい平安」

 あなたのご両親は素晴らしい名前を
 あなたに授けていましたね。」


と言ったところで、友は自分の両手で顔を覆って
ぼろぼろ涙を流してしまった。
そんな友を見るのは初めてだった。  

そしてイマームは続けて、 
 
 「イスラームは平安という意味と
 アッラーに仕えるという意味です。

 これはアッラーとのつながりで、
 それは始めからそこにあった。
 ということです。
 彼女は本当にラッキーです。」

と伝えたのです。

イマームはとても嬉しそうにご両親は
お元気ですか?と聞いてきたけれど、

私はそこで彼女のお父さんはもう亡くなり、
お母さんには子供の頃から虐待を受けて
絶縁しています。と伝えた。

するとそれを聞いたイマームは、
なんと、、、という表情で一瞬友の大変に
心を寄り添わせてくれたが、その後すぐに、

「でも心配いりません。
 15億人以上の家族ができましたよ世界中に!
 私の家にもぜひ来てください」

と同じ信仰を持つ私たちが兄弟姉妹であることを
喜びをもって表現し、友はケラケラと笑った。

私はそこで、イマームに
「彼女のムスリム名はヤスミンですが、
 ジャスミンの他にアラビア語では
 どんな意味がありますか?」
と尋ねた。

すると・・・。

「ん?ヤスミンですか?
 ヤスミンはサラーム(平安)という意味ですよ!
 つまり、ヤスミン=平安=泰美!」

スブハーナッラー!!! 


こうして友は自分のルーツがそもそも
アッラーの許にあり、彼女が生まれたその時に、
彼女の両親がつけた「泰美」という名前は、

アッラーに仕える美しい人という意味の
この上ない素晴らしい意味を持って
いつか必ず自分の許へと返ってくることを
ご存知のアッラーの計らいがあったことを
知ることとなったのだ。

自分のルーツと生きる道。

その2つを得たあとの「ヤスミン」。 



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前日まで手が震え、足が固まり、
歩くことすらままならなかったとは思えないほど、

そして「台風」はどこかへ去り、
そこには本当に「平安」だけがあり、
私たちは不思議な心地よさに包まれて、

久しぶりに「美味しいね」という友の
嬉しい声を聴きながら夕食を共にし、
帰宅したのだった。 

そこから1か月以上、その笑顔も言葉も
失われてしまうとは思いもせずに・・・。


つづく 




# by sarah_51 | 2019-02-12 21:37 | Comments(0)