アッサラームアライクム!!
みなさんの上に平安がありますように!!
環境が変わることで認知は進む?
病気で入院した途端認知症のようになってしまった・・とか、それほどでもなくても、以前よりなんだか同じ質問をしてきたり、状況をよく理解できなくなってしまったご両親やおじいさんおばぁさんを見て嘆く、またはいらだちを覚えるご家族は多いと思う。
環境変化に対する順応がうまくいっていない場合に起きているものも実はとても多く、
そのことを踏まえて対応すると割とスムーズに行く場合がある。
うちのばぁちゃんの場合、体調が悪くなってから手術後しばらくのことは何も覚えていない。
もし私たちが週末のみの面会をしていたら、、、または面会に行けなかったとしたら。。。
恐らく不穏状態となり両手は縛られて認知がさらに進んでいたことと思う。
ばぁちゃんの状態を私はずっと写真におさめてきた。
時にはばぁちゃんの肉声をビデオで撮ったりもした。
それはもちろん離れて暮らす家族に状態を知らせるためでもあったけど、
実際にはばぁちゃんの記憶に働きかけるためにとりためていた。
ばぁちゃん、こんな風に倒れてね、ほら、これ○○の病院だよ。
しんどそうやろう?覚えとる?
何度となくそうやって、今までの経緯や病院の様子など写真をみせながら話してきた。
結果、ばぁちゃんは、
「覚えとらんけど、知っとう」
という状態で踏みとどまっってくれた。
そう。。知性で理解しているけど記憶にはないのだ。
そうらしい・・というだけ。
子供の頃の記憶なんてそんなものが大半だと思う。
写真で見てるから知っているだけで、ほんとのとこ記憶だけを頼りにしたら、
赤ちゃんだった頃なんて覚えているはずないのだww
そして私の名前を忘れそうになるばぁちゃんは、
自分自身のその自尊心にかけて、必死で覚えよう、忘れたくない、
忘れたくない・・・そう抵抗し続けてくれた。
あれほどわからなくなっていた私の名前を、
今本当にウソのように?私の名前を想いだし、忘れなくなった。
そしてそれが未来に対する方向にも上手に働きかけることができたように思う。
入院中ばぁちゃんは部屋が変わるだけでも不穏に近くなることがあった。
看護師さんたちが何度説明しても理解できないのだ。
家族の言葉だけが信頼できる状態だった。
だから毎日行って前の部屋の様子や、そしてここは変わったんだよということを話しているうちに、すぐ状態は落ち着いていった。
今回の施設移動も施設を探している段階から、なんでも話した。
パンフレットをみせたり、見学してきたら何度も写真を見せた。
そして施設が決まったら、毎回毎回行くたびに、
このベッドからあのあたりにトイレがあるよ。
今度から施設では着替えはこんな風にするよ。
テーブルはこんな感じで少人数だよ。
ひとつひとつ写真を見せながら、何度も何度も話してシュミレーションした。
そうアプローチしていることをリハビリにも看護師さんたちにも伝えて協力してもらった。
それでもケアマネさんからも、看護師さんたちからも、
移動後数日は不穏になることもあるかもしれません・・・
そういわれていた。
でも。
この数日のばぁちゃんの前進はすごい!
私よりも閉まりにくい扉もどうやったらいいか会得しているし、
施設のスケジュールももう頭に叩き込み済みだった。
それどころか、それに向けていつから準備しなくてはいけないか、
何が必要か、、自分で考えて自分でしていこうとしていた。
信じられないかもしれなが、入院中のばぁちゃんは私が一緒に決めていかないと、
なにもかもできなくなっていた。 自分で決める・・・ということが自身がなくて不安で、
自分の体の変化にも環境変化についていけていなかった。
もちろん体調が上向きだということもある。
でも私たちは人の家に泊まったりすると、電気の場所がわからなくってあれあれ・・
ってなることあるでしょう??
みんな同じなのです。
だから私は環境性の認知症を抑制することは比較的容易だと思っています。
でもそこには、
「この前言ったでしょ!?」
「何度言ったらわかるの!?!?」
を言わないこと。
そう思います。
よおっし!何度でも言うぞ~~!
でも疲れるけん、ちょっと肩もんでよ~ぉ。
もっとハグハグしてよ~~ぉ。
そう。
癒してもらうのはこちらなのだ。
その笑顔に。そのやさしさに。
おしまい