初めての1人旅♪ ~出会い・再会 in 熊本~

アッサラームアライクム!!
みなさんの上に平安がありますように!

いや~熊本行ってきましたよ♪

なんで熊本?
実はツイッターで知り合ったリハビリ関係の方たちと、
震災後にボランティア団体を作ったんです^^

・・・って私はただの応援隊♪

でまさにその最前線で動きまくってる人たちが、
熊本でその活動を発表!!!


   行くしかあ~りません!!!


・・というわけざます♪

しかし、平日ということでいつでもどこでも一緒の旦那さまはお仕事・・・。


1人旅じゃん!!


ってことでちょ~心配されてましたの。。おほほほ。

え?私?
1人で旅行したことありますよ!!!!

去年エジプトに♪
それがほんとの初めての1人旅。

今回は「結婚して」初めての1人旅。
しかもお泊りなんて結婚して初めてなんです!!

どうなる!?
らぶらぶ夫婦!!!!!


・・・というわけでレッツゴーしましたよ♪

九州新幹線!!
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いや~・・・・。
まずこれに乗るのにも相当迷いましてね。。はい。

え?
はいはいさあらは方向音痴ですのよん。
それが何か??

何度も新幹線乗り場の階段を上ったり下りたり・・・。
あっちの電車で、いやこっちか??

旦那さまにメールして列車名を聞いたのにも関わらず、
そうこうしているうちに乗り遅れ・・・。
駅員さんのお世話になりました^^

乗った後も不安です~。
が・・・。

隣の席のおばちゃんに話かけたら、なんと熊本に行く!!
しかも地元民!!!

いや~大助かり♪
楽しい会話で30分あっという間に時間が過ぎて
無事に熊本に到着♪

そして・・・。
にゃんと

恩師のお出迎え♪
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実は学生時代、実習中私の指導員だった先生が現在熊本にいるんです。
せっかかく熊本に行くんだからごあいさつをば・・と思い
連絡したら・・・。


「 お前1人じゃきっと飯のひとつも食えんだろ・・・  」


と、よ~~~~~っくさあらをご存じで!!(笑)

待ち合わせるはずが結局心配で迎えに来てくれたのであります・・・。

ありがたや~~~T_T

超忙しいところを一緒にランチしていただき(もちろんおごり♪)
ホテルの場所も目の前まで案内、学会会場も説明してくれ・・・。

「夜は飯食うやついるんだろうな?ちゃんと家に帰るんだぞ」

と、まさに父ちゃん!!

感謝と久々の再会を喜びお別れしたのであります。

それにしてもヒジャーブ姿のさあらを見るのは初めてだった先生ですが、
途中ハロウィーンの子供たちを見た後、

「 おまえの方がよっぽど目立ってるよ (笑) 」

と言われましたが後は別に・・・。
それより何より飯も食えぬあほなさあら・・と思って面倒見てくれました(笑)

そんなわけでスムーズに会場へ到着~♪


さあらさ~~~ん!!!
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と声をかけてくれたメンバーのさっちゃん♪


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ポスター発表といって、こうやって壁に発表内容を開催中貼っておいて、
いつでも誰でも見れるようになってるんですね。
その前で発表したりするんです。


この人がリハビリの医師で団体の代表でもある藤本先生♪
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そしてさっちゃんの横にいる人がさすらいの理学療法士、山本さん♪
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みなさん、この顔をどこかで見かけたら、ぜひぜひ声をかけてあげてくださいね♪

ちなみに、この「東日本大震災リハビリネットワークFTF」という団体の活動が、
今度NHKで放送されることになりました♪

詳しくはこちらから♪
http://ftfreha.net/info/

いや~学会とか聞いてるだけでも疲れますよね~。

・・というわけで、
展示コーナーにあった岩盤浴でくつろぐ私たち・・・

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いや~楽しかった楽しかった♪

二日目のお昼は熊本のムスリマさんと待ち合わせてランチ♪
その名も

インド食堂!!
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ベジタリアンの方向けと毎日やってるハラール肉のランチ♪
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私は羊のひき肉カレー♪

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そして自家製アイス!!!!

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美味しすぎてもう感動!!!

食べ終えた二人のこの自然にゆるんだ笑顔!!!!

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ここのお店は日本人のご夫婦で作ってるからかな?
辛くないしとってもやさしい味。

その店主の方の先生?がムスリムで、
毎日安心して食べれるごはんがあったらいいな・・との言葉を聞き、
毎日いつ来てもいいように、ハラールのお肉を使っているのだそう。

実際にはムスリムでないお客さんがほとんどなのだそうですが、
満員でしたよ!!

ぜひみなさんも行ってみてください!!
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そして実はもっとびっくりしたのが、
このお店の方も被災地支援に行っていたということ。
お店では石巻を応援するTシャツが売られていました。

お友達の上司の方が石巻出身だということもあり、
盛り上がってしまいました♪

あ~いい出会いだったな~♪


そして帰り道・・・。
お友達がJRの駅まで送ってくれたので、
それはそれはスムーズに新幹線に乗れましたよ!

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恐るべし九州新幹線!!「さくら号」

自由席なのに
この高級感!!

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ドアも壁も金ざます!!
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トイレの入り口にも「金」のすだれ???
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便器も金なのかなぁ・・・w


そして実は出会ってまだ間もないムスリマさんが私のために・・・T_T
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うんまいに
決まってるざます!!


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そう・・。ネットで知り合ったり、ちょこっとしか会ったことなかったり、
連絡はとってるけど実際なかなか会えなかったり・・・・。

でもやっぱりほんの10分でもちゃんと顔を見て会って話せる。

すごくいいな~って改めて思いました。
ぜひぜひみなさんも時間ない中でも会うようにしてみてくださいね♪

え?
旦那さまはどうしてたのかって??



当然!?

熊本まで夜会いに
来てくれたざます!!


そして、

朝熊本から
出勤したざます!!


( ・・・・そないいデカ文字でせんでも・・・ )

むふ♪
さすがらぶらぶ夫婦ざましょ??

おしまい
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# by sarah_51 | 2011-10-29 18:22 | おでかけのこと♪ | Comments(2)

連載第2弾♪ ~ 結婚相手の条件 ~

これは私と旦那さまが出会うまでの
定められた運命の物語です。

****** 結婚相手の条件 ************

さて。かくして婚活・・という状態に入ったさあらだったが、
果たして婚活とはなんだったのか・・・。

みなさんも少なからず、結婚相手を選ぶときに条件を
考えると思う。
経済力、年齢、学歴や親族のことなど、それは人それぞれだと思う。

今思えば私の場合、誰かと出会う度「自分の中の迷い」をなくし、
ただひたすらに結婚のための「よい条件」を見つけていく作業であったように思う。


なぜ私が婚活を始める時に日本語とアラビア語ができて自力で日本に来れる人としたのか。そのきっかけとなる私にとって良い出会いについてまず書いておこうと思う。

エジプトへ行く半年より少し前に、私に結婚前提にお付き合いしようと
申し出てくれた若者がいた。

当時私は34歳で彼が24歳だったから、若者・・という言葉が合うと思う。
エジプト人であり、まさに私がイスラームに興味を持った人物だった。
日本で一度だけ私の家族と会って昼食をともにした以外はメールだけ。
残念ながら私は彼が好きになってイスラームに・・というわけではなかった。
ムスリマになり、しばらくたって連絡をとったとき、そういう話になったのだ。

私が出会った当時日本に短期滞在していた彼は、
エジプトにすでに帰国し、なぜか在学していたアズハル大学を退学になり、
両親から勘当されてしまっていた。
カイロで一人暮らしを始めていた彼はLEDライトを売る会社を作ろうとしているという。

今思えばこの時点でやめておくべきだったのだろうけど、
当時の私が知る唯一の信頼できるムスリムであり、
私がイスラームを知るきっかけになった人物だけあって
何か助けてあげたい・・という思いがあった。

かくして二人で結婚するためにどうしたらいいか話合う日々が続く。

・・・が、
これが今思えば信じられないほど連絡がつかないのだ。
やっと携帯のコール音が鳴ったと思えば、

「アロー、アロー」という彼の声は聞こえても
こちらの声は聞こえない様子・・・。
もちろん逆のことも多かった。

初めの頃こそ日に何度もメールが届いていたが、
仕事やビザの話の質問をすると返事はひと月先・・ということも多かった。
また、当時私は英語の勉強をし始めたばかりで会話では半分理解できていれば
いい方・・というレベルだった。

この時期の出来事は、「電話はかけたらつながるもんだ」という
思いこみを無くし、たった一言話すだけでもこれほどの奇跡がなければ
話せないのだ・・・という神さまの恩寵なるものを毎度理解し、祈る練習にもなっていった。

そして、しばらくは誰にも話さなかった彼のことを、
少しずつ友達ができ始め、モスクにも行きなれたころ、
ムスリマさんに話すようになった。

すると、ほとんどの人が

「あやしい」
「やめた方がいい」
「ビザ目的じゃないの??」

という回答だった。

が、例え一度しか会ったことが無いとはいえ、
彼に何かひどいことをされたわけでもなく、
話ができる時は彼はとても優しく理知的でよい人物だった。

だからどうしても周囲の反対に耳を傾けることができなかった。

「いい人なのに・・・」

時々、彼のことを理解してくれない人の話を聞いているだけでも
泣きそうだった。

「なんで知りもしない人のことを、そう悪く言えるのだろう・・・」

そんな日々が半年くらい続いただろうか。

ある時本当に連絡が途絶えてしまった。
心配で心配で仕方がなかったが、電話もメールも返信がないため、
彼の実家へ手紙を書いて毎日のように送っていた。

さすがの私ももう無理だな・・と思い、
これでつながらなかったら、彼のことをアッラーにお任せして、
よき思い出として前に進もう。

そう思ってかけた電話だったが、なんとこれがつながってしまった。

「元気だった?」

そう聞く私に、彼の答えはさらに驚く返答だった。

「アルハムドリッラー・・・。実は事故に合って足を折ってしまった。
病院にいたけど、今は実家に戻っている。」

正直私はこの時、心配より先に頭に血が上ってしまった。
聞けば事故に合ってからずいぶんたっている。
入院したりしてたとしたら、確かに大変だったであろう。
でも連絡のひとつもよこせないものなのか??
いつも家族も私のことは知っていると言っていたけど、
それなら尚のこと、自分で連絡できなかったとしても、
家族や友人に頼んでメールを送ってもらうこともできないのか??

矢継ぎ早に質問する私に、

「携帯が無くなって番号もわからなくなってた。だからかけられなかったんだ。
すまない。それに友達にメールなど頼めないよ。
サーラ、僕は君と結婚したいと思っている。でも君はもう僕を信じてくれはしないだろう。
それでも聞いてくれるなら・・」

そう言いながら、
彼は私が以前聞いた質問に色々と答えてくれた。
学校こと、仕事のこと。日本に一度来れないのか?軍隊への入隊のこと。
ビザのこと。両親へ私を紹介すること。

どれも結婚するにあたってまず彼を知るために、必要なことばかりだった。

彼は生活状況があまりよくないことやその他の質問に答えた後、

「怒らないで聞いてほしい・・。僕の住んでいる町は田舎でカイロとはずいぶん違う。
だから・・その・・・・年上の女性と結婚するのは・・・・
周りがなかなか許さないと思う。
時期が来たら必ず話す。僕の家族だ。いつ、どのように話すべきか心得ている。
だから僕を信じていてほしい。」

その日はずいぶんと長い時間話すことができた。
驚くべきことに私の英語力もずいぶん上達していて、
半べそかいたり、怒りながらも自分の気持ちを英語で十分話せたと思うし、
彼の言っていることもよく理解できた・・。

そしてその電話の後、
私はようやくこの人との結婚は無理なのかも・・と思うようになったのである。

実は彼と連絡が取れない間に、私はエジプト人のお友達を作って
色々と現地の事情を聞いたり、結婚に必要なことなどを調べていた。
その中で、皆が口をそろえて言うのが、

「もし本当に結婚したい・・と思ったなら
両親や家族にすぐに紹介するものだよ。
それにメールだって電話だってしないで我慢なんてできないよ。
メールをするのにパソコンがないとしても、
子供がお菓子を買うほどのお金でできるのだから・・」

ということだった。
そして、みんながみんな、

「考えなおした方がいい」

そして、エジプト人でさえ、

「彼以外の友人も家族も知らないまま結婚の話を進めるのは危険だ。
 信頼できる人に間に入ってもらうなり、事実を知るようにした方がいい」

そう言うのだった。

確かにムスリムであり、彼の人間性はとてもよい人物だとしても、
お金も仕事もなく、両親の援助も受けられず、日本の私の両親や家族にも会うために
来日もできず、彼の両親・家族にも会える状態ではない・・・。
何より連絡がとれないフィアンセなどいるだろうか・・。

やはり結婚を考える状態ではないのだな。。

ようやくそう思いつつも怪我をしているという彼に
別れ話もできず、別れるきっかけを見いだせないまま過ごしていた。

そしてその後数回連絡をとるうちに、私がエジプト行きを考えていることを話した。

エジプト行きには当初二つの目的があった。
ひとつはやはりもう一度彼ときちんと会って話すべきだと思ったこと。
もうひとつは、もう一度シャハダをしてアラビア語の入信証明書をもらう、
ということだった。

エジプトに来るならすべて僕が準備する・・・そう張り切っていた彼だが、
どうしても納得できないことがあった。

家族にはまだ会わせられない、、ということ。
そして二人でまずは会おう・・ということ。

さすがにホテルの部屋には入らないと明言していた彼だが、
滞在中の行動はすべて二人で・・という具合だった。
私にとっては夫となるかもしれない相手の国はもちろん、
実家や友人などを見ることも大事だと考えていた。
それにただでさえ連絡がつきにくい彼と私の英語力でいろいろ決めるには
限界もあった。

案の定そのことについていろいろ揉めているうちに、
連絡がつかなくなり、手続きをしなくてはいけない時期がきてしまった。

仕方がないのでサイード先生に相談したところ、
二つ返事ですべての準備を整えてくれた。

そして先生に、どうしてエジプトに来たいのか?
と聞かれた私は迷わずこう答えていた。

「私の目的はただ一つ。
もう一度アズハル大学でシャハダをしたいんです。
そしてアラビア語の入信証明書を持って帰りたいです。」

彼に会うチャンスかもしれない。
現実を見るチャンスかもしれない。

心の片隅ではまだ少しそう思っていたたけれど、
それは現地について電話をしてつながったら考えよう。
そう思っていた。

かくして、私はエジプトへ行き数回彼に連絡したがつながらなかった。

「縁がなかったのだな」

そう思い、彼にアッラーのご加護があるよう祈りつつ帰国した。
なんだかとても心が軽くなったことを覚えている。

そしてなんと帰国直後に彼から電話があったのだ。
正月だったということもあり、

「 HAPPY NEW YEAR 」

を言うために・・。

そう。私はまさに新しい年を迎えたのだ。

実はエジプトから帰ってきたばかりだということ、
無事にシャハダもでき晴れ晴れとしているということ。
何よりエジプトという国がとっても好きになったこと。
そして、私たちにも互いにとってより素晴らしい道があるであろうということ。
私は残念だがあなたのパートナーとしてふさわしくなかったのだということ。
私にできることは、ただあなたのために祈るだけだ・・

そう彼に伝えると、いつの間にかエジプトに来て帰っていた私に
始めこそ怒っていたけど、今までよりずっと穏やかになった私に
よく理解できた・・と今までの思いを話してくれた。
そして、縁がなかったとはいえ自分たちはイスラームにおいて兄妹なのだから、
何かあればいつでも連絡をくれ・・と言ってくれた。

アルハムドリッラー。
本当に良い出会いだった。
そう思いこの出会いをくださった神さまに感謝し
互いの成功を祈って別れた。


私はこの経験から本当に多くの教訓を得た。

経済的なことや言語の問題、文化の違い、ムスリムだから・・というだけで結婚できるわけじゃないこと、色々あるけれど、一番身にしみたのは、

「 人の意見にはよく耳を傾け従ってみる 」

ということである。

このことを踏まえ、私の日本での婚活はさらに加速し、
今度は周囲をどんどん巻き込んだ戦略的なものへと変わっていくのだった・・・。

つづく


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アズハルの証明証。左上には顔写真が貼ってある。
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# by sarah_51 | 2011-10-25 10:17 | 旦那さまと私 | Comments(7)

被災地を見て

アッサラームアライクム!!
みなさんの上に平安がありますように!!

東北支援旅行をしてきたさあらですが、
実は震災以降ずっともどかしい想いでいました。


理学療法士として
現地に行き手助けをしたい・・・。


そう思う気持ち。


けれども新婚の旦那様を一人家に放って東北へ行くわけにもいかず。


私の現職場は緩和ケア病棟が中心であり、
3日・・いや1日たりとて空けば
次にお会いできるかどうかわからない方ばかり・・・。


目の前に確実に死ぬ・・とわかっている人がいながら、
その方たちを放って東北へ行くわけにもいかず・・・。



それでも



     どうしても東北へ行きたい。

    この目でしっかりその現実を見たい。


そして夫婦でできる支援の方法。
それを考えた末の支援旅行でした。



決してうちはお金に余裕があるわけではありません。
でもそう滅多に福岡から東北へは行けません。



     思いきって1か月分使おう。



そう思って行ってきた支援旅行。



神さまは私の願いを最終日に聞き届けてくれました。



そう・・・・。

熱発したのです・・・。



私には持病があり、少しの炎症も場合によっては命取りになります。
現地での移動を電車にしていた私たちでしたが、
とても歩いて階段や乗り換えの移動ができる状態になく、
急遽レンタカーを借りて平泉から仙台空港まで行くことになりました。




  「 神さまは、被災地を見ていけ・・

              って言ってるのかもな 」


旦那さまがそう言って、
陸前高田へのルートを探してくれました。
電車では時間的にもルート的にも行けない陸前高田市。


こうして私は現地をこの目で見る機会を得たのでした。



平泉から車で陸前高田まで1時間半くらい。
いくつもの山を越えて、時にはいろは坂を思わせるようなカーブを
上ったり下ったり・・・。



  「  山ばっかだな・・・    」


旦那様がそうつぶやいて、その工程に慣れた頃・・・。


突然、道の脇に押しつぶされた車が転がっているのが見えました。



  「 ねえ、
これ津波で流された
車じゃないの?? 」


と聞くさあらに、

  「 事故車じゃないの?  」

と旦那さま。



でもその先に行くとまた、同じような車が右にも、そしてまた先に左にも・・・。
そして同じようにスクラップ前のようになった車が積み上げられ集められた隣で、
中古車屋が仮設店舗で営業しています。



  「  ねぇ!!ぜったいおかしいよ! 
   津波で流された車だよ!! 」


そういう私に、


  「  事故にあった車を集めてきただけかもしれないだろ?

     思いこむのはよくないよ。             
    」


と旦那さま。


・・そう話しているうちに橋のような道路に差し掛かったその時、


  「  わ! これはやばい!! 津波で壊されたんだ!!  」



と旦那さま。

道路の両端が崩れており、それは事故で・・という状態でないことは、
誰の目にもわかるものでした。



するとそこに現れたのが・・・

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もう少し近くに行ってみよう・・・。


レンタカーにはナビがついています。
そのナビの地図に沿って、ひとつひとつの角を曲がってみました。


    ここにはマックがあって

    ここにはパチンコ屋があって・・・

    ・・・ということにナビではなってる・・。



そう旦那さまが言うのを聞きながら、ずっと窓からその光景を見ていました。

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アパートでしょうか・・。
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これは陸前高田高校。
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何かのお店だったのでしょうか・・。
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そうやってナビと現地を見比べながら、
ハッと右側を見て、私たちはぞっとしました。


海が近い・・・


そう・・。
もう、、それは本当に「すぐ」そこに海がありました。

防波堤が壊されてしまったせいでしょうか・・。
周りに何も建物がないせいでしょうか・・・。

海が近づくと必ずと言っていいほど出くわす
猫やトリたちの姿も全くありません。

だからでしょうか・・・。


海が近いこともわからぬほど、
またそこに人が住み、町が栄えていたとは思えないほど、
外部から来た何もその土地の以前を知らぬ私たちには、
ナビなしでは想像もできないほどに、
半年たった今も
何もなかったのです。


話題になって知っていた、
たった一本残った松も今はもうその葉がありません。

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復興されているニュースや写真も多く見られるようになってきました。
とてもうれしいことです。

でも、流されてしまった場所は、
まだ何も復興されていません。

東京大空襲の後、焼け野原となった写真を何度となく見ました。
広島や長崎の原爆の後の写真も。

でもそこには人や動物などが何かしら映っていました。

陸前高田市。

その場所には半年たった今も、
そこに住んでいた人や動物たちはいませんでした。

そして私たちのようによそからやって来た、
それ以前を知らない者にとって、そこは本当に、


    何もない


場所だったのです。


この場所に住み、震災と津波、人災にあい、
このようになってしまった場所に生きて立った方々の
何が私にわかるでしょう?

何1つわかった気になってはいけない・・・。
そう思いました。

福岡へ戻った朝の新聞。
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ちょうど平泉の事が記事になっていました。

でも、まだまだだと思います。
これからだと思います。

支援
続けていきます


おしまい



 
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# by sarah_51 | 2011-09-22 22:08 | おでかけのこと♪ | Comments(4)

紙婚式旅行♪( ´▽`)

アッサラームアライクム!!
みなさんの上に平安がありますように!!

台風の影響はどうだったでしょうか?
みなさん無事でありますように。

さてさて、さあらさんの結婚コラム第2弾はちょいとおいといて・・・

先週の連休を使って東北支援に行ってきました^^

・・と言っても。


「夫婦でエンジョイ型支援」


というわけで、二人で旅行♪

9月の18日でちょうど紙婚式を迎えた我々夫婦にはもってこいの企画となりました♪

福岡から飛行機で1時間半くらい・・・

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で、仙台駅から新幹線で1時間♪

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やってきました♪
今話題の世界遺産の街平泉!!!

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広くて大きい山を背景に、田んぼがずーーーっと広がる風景♪

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いや~いいですよね~♪

さあらは千葉県出身なので、平野に広がる田んぼの風景にはほっとします♪


平泉の街中には、巡回バスも走っていますが、名所ごとにとても近いので、
歩いて移動も十分OKです♪

駅から徒歩5分くらい?で、もう目の前には毛越寺!!



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この池のある公園に見える場所も、

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この広がる田んぼ後のような場所も、

大事な世界遺産なのだそうです・・・・。

歴史にロマンと想いをどうぞみなさんはせながらご覧くださいませ・・・。



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でもやっぱりなんといっても、

中尊寺!

ですよね♪

しかし、この中尊寺のぴかぴか堂(金色堂ですよ!!)までの道は、
ちょいとした山登り?ならぬ坂道があり、
いや~若いうちに来てよかった・・・

などと話ながら上りました・・・。


で、

ぴかぴか堂がここ!!

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光ってないじゃん・・・



・・って思ったあなた!!!!

ぴかぴかすぎるので、中にしまってあるざます!!!

それはもう・・・金閣寺が中までぴかぴか!!みたいな・・。

( なんとしょぼい表現力・・・ )


ともかく一見の価値はありますです、はい。

それに説明のアナウンスと共に、
結構ゆっくり見せてくれるのもよかった♪

おじさん、おばさん年代が多かったですが、
ツアー客も結構来てましたね♪

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たくさん歩いて汗かいて♪

旅館の温泉に入って♪

さあごはん、ごはん!!!!


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山菜や山の物を使ったごはんやてんぷら♪

お刺身などもついて盛りだくさん~~~♪

おこげがやっぱり美味しいよね~♪

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来てよかったですか?

旦那さま???

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みなさんも、ゆったり東北旅行に来てみてはいかがでしょう??


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おしまい
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# by sarah_51 | 2011-09-22 19:00 | おでかけのこと♪ | Comments(4)

連載第一弾♪ 「 結婚までの道 」~始まりはエジプト~

私が旦那さまと結婚を決めた時、
私の心は本当に穏やかで、
やすらぎに満ちたものだった。

それは私がそれまでイメージ
していたものと全く違っていた。

そこにはドキドキや興奮・不安などという
すべてのありとあらゆる自分の
感情というものから遠いところに自分がいた。

本当にそれは当然のことのようであり、
自然なことだったのである。

そして、
「あぁ・・・この人がアッラーが選んでくださった人なのだ」

そう強い確信とともに、
私は彼のプロポーズを受けたのである。

おそらく生まれてから、いや生まれる前からのすべてのことが
ムスリマとなり、また旦那さまに出会うためのことであったと、
今は以前よりもさらに強く確信している。

アルハムドリッラー。
私は本当に自分でできる範囲などというものを
うんと超えた、とてつもない幸せを手にしたのである。

それは、努力で勝ち取れるものではなく、
行いで近づけるものでもなく、
やはり神さまからのプレゼントであった・・としか思えないのである。

そしてそれまでのすべての私の悩みをも吹き飛ばし、
友人知人が理解できるまでに数時間、
または数日必要なほどの驚きを各地にまき散らしながら、
結婚前提として知り合った初日に結婚を決め、3日後にプロポーズ。
そして知り合ってから10日後、結婚式の当日に、
初めて会った愛する旦那さまと、初めて訪れる福岡の土地で
喜びと共に結婚したのである。

あれからあっという間の1年。振り返っておこうと思う。

昨年の1月、エジプトはカイロで2度目のシャハーダをした私は、
できる限り多くのモスクに行きたいと、観光など全く興味を示さずに
あちこちのモスクに出向いていた。
それまでどこかアラブ諸国に興味がわいていた私だったが、
金曜礼拝に行った際、その気持ちはあっさりと変わった。

 
「 日本に帰らなくては・・・・・  」


なぜだかわからないけれど涙があふれた。
広い広い世界に一人そこに立っているような感覚に襲われ、
めまいがするほどだった。


「すべてが日本とちがう・・ 」



涙し口を閉ざす私と共にいたアラビア語の先生が礼拝のときに
誰かに何かされたのかと心配するほどだった。


「 私は日本でイスラームを伝えていきたいです。」


たくさんの想いと感じたことと共にその事を伝えると、

「さあら、君はぼくよりうんとアッラーの近くにいる。
だから日本で君がムスリマとして生きていくことに何の心配もしていない。
心配なのは、君が日本で良いムスリムと結婚できるか?ということだけだよ」

と笑った。

そう。
あの瞬間に私の居場所は「日本」となったように思う。

結局帰国するときに多忙で見送りに来れないと、
残念がる先生は、わざわざ早朝のホテルの朝食に付き合ってくれ、

「  さあら。本当に君からの結婚の知らせを楽しみにしているよ。
   どうしても誰も見つからなかったら、
   その時はエジプトに帰っておいで。ここはもう君の故郷だよ   」


そう念押ししたのだった。
何より結婚することが大切なのだな。
幸せなのだな・・・そう思い、
また実は同い年だけれども
父の様に共にいてくれた先生に感謝した。

帰国してからというもの、
私の頭の中は「結婚」「仕事」「イスラームの勉強」
という3つの道のどれを選らんで突き進んでいくか・・
ということでいっぱいになった。
日々友人と将来の話をし、ネット上で知り合った
ムスリムなどとも頻繁に
自分の進むべき道はどこにあるのか・・
ということについて話ていた。

そしてまた、どのように善き伴侶を探したらいいのか、
どのような人が善い人であるのか・・ということについても
もうそれは飽きることなく話していたように思う。

それでもどこか「アラブの人」との結婚を望んでいた。
なぜなら、私の両親はイスラームに大反対だったからだ。
私は単純に、いわゆるイメージ通りのアラブ服を着たアラブ人が
実家へやってきて、
「お嬢さんと結婚したい」
と言ったらなら、さすがの両親もあきらめるだろう・・
と安易に考えていたのだ。

だからしばらくの間、
私の結婚の条件は、

「アラビア語ができ、日本語が可能な人。
また日本に自力で滞在または住むことが可能な人」

という風にしていた。
自力で日本に滞在・・というのは、
いわゆる「ビザ目的」の結婚から自分の身を守る手段であり、
結婚ビザがなくても日本にこれる人であれば、
一応の安心はできるというものであった。

かくしてさあらの婚活が始まったのである。

つづく・・・

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               まだ何も知らぬエジプト、白砂漠にて
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# by sarah_51 | 2011-09-16 09:48 | 旦那さまと私 | Comments(4)