人気ブログランキング |

<   2019年 03月 ( 9 )   > この月の画像一覧

「脳転移」と友とわたし㉝「改善するのは状況であってその人ではない」という視点をもって在宅の準備へ


少しずつ変化が出始めた友。

友は2018年12月30日に亡くなりました。
看取りとその後はこちら→https://sarah51.exblog.jp/i31/


相変わらず私が帰りにハグすると、
ぎゅうっと爪を立ててくることに
変わりはなかったけど、

病院のスッタフの方たちと日中
筆談を通じて少しずつ長い会話が
できるになってきていた。

とはいえ、友の返事の多くが、

「先ほど体を拭いてもらい嫌な思いをさせて
 申し訳ありません」
「私は恐ろしいことをしました」
「申し訳ありません」

といった謝罪や自分を責める言葉も
まだまだ多く、またベッドから
ほとんど動こうとしていなかった。

ただ脳のMRIも問題がなく、
CTで全身の転移検査も特に変わりないと
された友は急性期の病院にそう長く
いれるわけではなかった。

退院しないといけない。

友には「自宅に行けるよ!行くよ!」
と言っていた私だけど
実際私は自分の身内ですら自宅で
看取った経験もなく、

ましてや耳の聴こえない
心を閉じ切ってしまった友の
一人暮らしをどう支えたらいいか。

その方法にやや悩んでいた。

もし私が1人暮らしなら、
いっしょに住めばいい。

でも事はそれほど単純ではなく
夫は私があれこれと友のために
時間と労力とお金やらなにやらを割き、
家のことが後回しになっていることに
いろいろと不満がいっぱいだった。

ヤスミンのところに行く。

というだけで不機嫌になることも
増えていて自宅でそういった話も
できないと感じていた。

そんな時、在宅ホスピスをしている
先生方の勉強会が開催されることを知り、
友の病院からも近かったので
セミナーを聞いてすぐ病院へ面会に
行けるなと思った私は早速申し込んだ。

この時スライドのある1行に目が留まった。

「改善するのは状況であってその人ではない」

というソーシャルワークの視点で
とらえた在宅ケアの考え方だった。

そして

「治すことはできなくても、
心地よくすることは常にできる。」

という緩和ケアの原点ともいえる
本のタイトルを紹介してくださっていて。

私はそうだ!これだ!
これをすればいいんだ!!

と自分の役割を見出すことができたのです。

友の入院中何度となく私は
心療内科を受診できないか、
心のケアをしてくれる認定看護師か
医師と彼女が話をする機会をもらえないか。
不安に対して何等かの薬などはないものか。

など病棟看護師や主治医などにも
伝えていた。

でも脳外科医は
「手術が専門なので、、、」
婦人科医は
「余命を聞いて受け入れられなかったのであれば、
 時間が解決するしかない」

というばかり。
なんとか認定看護師さんが話を
来てくれるようになったけど
本人はそれで良い変化を感じてるとか
話ができてよかったとかいう感覚は
全く持っていなかった。

それだけではない。

画像上なんら問題点が見つからなかった
彼女に対し、看護師によっては、
友が「演技している」「実際にはもっと動けるはず」
「自分でできることはしてください」

といったことを話す人も出てきた。

悔しかった。

救急外来で意識がなくなった時
彼女の震えやつっぱりながら歩く様子を見たとき、

確かに私も脳の問題じゃない。
心の問題が大きい。

そう思った。
でも友自身にこれ以上
なんの負担をかけられるというのか。

食事も1割も食べない。
カーテンをきっちり閉めて、
耳の聴こえない友が
ベッドにじっと座るか寝るか。
携帯もない。ネットもない。
誰とも会わない。

そんな生活を好んですると思うのか。

たとえ演技だとしても、
嘘だとしても、

「嘘をつかないといけない状態」

に陥っている友に何ができるか。
それを考えるのが医療じゃないのか。
福祉じゃないのか。

そう思っていたから。
だからこのセミナーに行って、

「変えるのは状況」「本人じゃない」

という言葉は、
そうだ、友にとって安心できる環境を
私が考えればいいんだ。

友にはそのままでいてもらえば
それでいいんだ。

そう強く思えたのです。

セミナーの講師でもあり時折お世話になっていた
緩和ケア医師で在宅ホスピスをしている先生に
友の住所近くで連携できそうな訪問医師や
緩和ケアに理解のある医師・看護師がいる病院等を
お聞きして、どう連携するか早速考えた。

在宅でお世話になる予定にしていた
ケアマネと私のパート先となる
訪問看護ステーションにも状況と私が
思うことを伝え、さっそく地域の緩和ケア病院と
連携できるよう働きかけてくれることに。

「退院しよう」
「できるよ」

それだけを胸にとにかくできる限りの
環境設定をあれこれ考えて実施した。

そして緊急入院から1週間が過ぎ、
週が明けた頃から友にもぐっと変化が出てきた。

ハグの後、爪を立てなくなったのだ。

というよりも自分から私と同時に
背中に手をまわしてそっとポンポンポンっと
叩いてくれるようになった。

またね。

と手話をすると目がうなずいているかのように
じっと私を見るようにもなった。

私の普段と同じあんなことあったー
こんなことあってー、これ美味しかったよな
会話にも時々目を向けたり、
私の携帯の写真をちらっと見ることも出てきた。 

絶対退院して、曼荼羅描いたり
個展にだって行けるようになるよ。

そう思いながら。
でも退院ってそう簡単じゃなかった。



つづく 












by sarah_51 | 2019-03-30 12:24 | 医療と健康  | Comments(0)

さあら幼稚園第一期生 卒園。


2017年3月から始まった「さあら幼稚園」。

まだ小さかった彼女は、壁のタイル模様よりも大きくなりました。
a0188838_17540922.jpg
a0188838_17514259.jpg
とても知識のある外国人のパパと
知識を探求することが大好きなママ。

そんな二人の小さなお子さんを
私に週1回預けてくれることになり。

あいさつや食事のマナー。
いっしょに遊びながら
合間にアラビア語や
クルアーン読誦を暗記して。

何も教えなくてもこんなに立派に
修了証書を受け取ってくれるまでに
なりました。

a0188838_17500545.jpg
修了証書には、彼女が暗記して
見事ほぼパーフェクトに合格した
クルアーンの章の名前が貼ってあります。

a0188838_17505465.jpg
パパとママの努力もあって、
こんなにたくさん覚えてくれました。

お花は下にも2人のお子さんがいながら
送迎含めてがんばってくれたママに。

a0188838_17523657.jpg
小学校入学お祝いには、
持ち運びできるクルアーンと
もう少し大きくなって学校などで
お祈りをするようになった時
使える折り畳みの礼拝マットを。

a0188838_17503348.jpg
a0188838_17531308.jpg
けっこうもう読めるところあるんですよ!
マーシャーアッラー。。。

ケーキを用意していたのですが、
なんとママから素敵なケーキがきて!

a0188838_17511731.jpg
a0188838_17494195.jpg
a0188838_17534689.jpg
私は決して先生たる人間でも知識があるわけでも
ないのですが、ご両親が私を信頼し、
彼女も楽しく2年間通ってくれたことに、
本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです。

彼女から教わったことがたくさんたくさん。

廊下を走ってくる音がするたび、
私と旦那さんは「わ!来た来た!」
といつしか彼女が来るのをとても楽しみに
していました。

子供はなんら罪がなく
またアッラーに最も近い存在を言われています。

彼女が来るたびに、我が家に美しい光と
たくさんの祝福がいっしょにやってくることを
いつもとても感じていました。

アルハムドリッラー。

子供って本当に宝ですね。
小学校に行ってもまた遊びに来てね~。

「来週また来ると?」

と聞いてましたが笑 

アッラーよ彼女とご家族に絶え間ない
祝福と恩恵を授けてくださいますように。
現世でも来世でも善いものを。そして 
来世までずっと彼らを御守りくださいますように。

アーミン 


おしまい





by sarah_51 | 2019-03-29 18:13 | 子供教育@さあらようちえん | Comments(0)

みんなで食べるから尚おいしい!行く価値ありの「ベンガルで夜会♪」開催報告

ただただ美味しいものを一緒に
食べるだけの会@夜 

今月は福岡県春日市に新しくできた
ベンガル料理のお店
「インディアンスパイスファクトリー」
へお邪魔してきました!

事前に料金内で食べたいものをあれこれ
お願いして最後に「あとはみんなが、わー!」
って言うものでお願いします!

というなんかわかるようなわからないような
お願いをしたのですが・・・。

当日行ってみると予約席に置かれたこの
コースメニュー。。。

今日の私たちのためにだけ作ってくれた
メニュー表でしたよおおおお(*´▽`*) 
うれぴー! 

a0188838_22032998.jpg
そこからはもう怒涛の、、
美味しい尽くし!!!

中でもこのココナッツの海老カレー。
ほんとのココナッツです。

a0188838_22001134.jpg
まろやかでほんのり甘いカレーですが、
食べたことない美味しい味。

a0188838_21594742.jpg
a0188838_22030169.jpg
a0188838_22023167.jpg
a0188838_22005409.jpg
a0188838_22041381.jpg
どれもこれもみんなカレーなのに
「みんな違う味」
でみなさん大興奮。

当たり前なのですが、
どれもカレーだと2種類くらいで
通常飽きてしまう気がするのですが、

全くどれもこれも味が違って
それぞれにとても凝ったものばかり。

ちょっとずつ分けてみんなで食べると
さらに美味しさが増して増して・・。

でもそこは最後まで裏切らない
驚きの連続!!
このアイスがまた絶品でした!

a0188838_22011557.jpg
サフランで色付けしたアイスに
ローズのソースをかけて。

美味しいチャイといっしょに
口の中がさっぱり。

もうはち切れそうに
おなかがいっぱいになりました!

みなさんありがとううう(*´▽`*) 

------------------
▽本日のお店
東インド・ベンガル料理
インディアンスパイスファクトリー
816-0851 福岡県 春日市昇町4-24-1F
西鉄大橋駅からバスで15分または車で。
(駐車場6台あり)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

次回の夜会は臨時開催です♪

▽国産ぷるっぷる「もつ鍋の会」

▽ビュッフェで楽しむアラビアンナイト

お待ちしてまーす!!

おしまい 


by sarah_51 | 2019-03-27 22:16 | 世界のランチ会 | Comments(0)

若い人byあのスルターンとスルターナの極めて平穏な1日


ふと歩いて出かけたらいきなり
旦那さんに遭遇した。

a0188838_19233119.jpg
本人曰く、「1週間前から何度も言った」
というのだが今日何しにどこへ出かけたのか
よくわかっていなかった・・・。

そして旦那さんも私が歩いてるとも知らず・・。

「あんた何してんの」
「歩いてると」
「なんでー」
「銀行行こうと思って」
「歩いてわざわざ?」
「あんたこそ何してると?」
「だから言ったじゃん・・以下省略」
「ほうね」

とやり取りした後帰宅したら。

「さあら、あのあとね、そこにいた人何人かに聞かれた!」
「なにを?」
「さっき話してたあの若い人誰?って」

「きゃあああああああああ(スピーチレスw)」

「いやいやあのですね、あの人僕より5つも上で、
 もうすぐ44になるんですよ!!って言っておいた」

「なんでそない細かく言うねん( ゚Д゚)むきょおおお!!」

「若いと言われて喜んじゃいかん。年齢をわきまえなさい。
 僕は30台でもう年を感じてる。20台にはついていけない」

「ついていかなければいいやん。」

「・・・・・」

「るん(*´▽`*)♪若いおくさーん(*´▽`*)♪」

「そりゃ60歳近い人らから見たら若いだろ」

「あんだってーーーギロン( ゚Д゚)」
 若い奥さんって言われて嬉しかろう??(*´▽`*)♪るん♪」

「・・・・」

ーーーーー
ちなみに奥さんだとは認識されていなかったらしい・・・。
なぜなら、

「マレーシア人?」
と聞かれどうやら若い外国人の子とでも
話してると思われてたようでwww

しばらく
「若い奥さんでよかったろー?(*´▽`*)」
「見えるってだけね」

を繰り返していた今日の夕暮れ・・・。

我が家は相変わらず平安です。
アルハムドリッラー。 

おしまい 

 







by sarah_51 | 2019-03-17 19:37 | 旦那さまと私 | Comments(0)

世界の料理教室「エジプトのムサカ&ファラーフェル」開催報告


毎月開催している「世界の料理教室」。
本日は以前食べた際、感動して「ぜひ教えてほしい!」
とリクエストいただいたエジプト料理。

「ムサカとファラーフェル」

a0188838_21172215.jpg
a0188838_21180035.jpg
エジプト料理はトマトベースの料理が多いのですが、
このムサカはなすとトマトがとっても
美味しい一品です。

ファラーフェルはコロッケなのですが、
中東各地で様々な形や食べ方があります。

エジプトのファラーフェルは特に、
このきれいな「みどり」の中身。

a0188838_21260786.jpg
ふわっとして周りのごまがまた何とも言えない
美味しさ!!

特別にレストランのシェフが
ナンを焼いてくださって。

a0188838_21211709.jpg
外国人の先生に教わっていると、
毎回色々な驚きがあるのですが。

今回の驚きは・・・。

a0188838_21224909.jpg
普通の文具バサミで切ってますやん~


でしたwww 

参加費の一部をシリア子供教育支援に
寄付しています。
今回のご参加のみなさん、
ありがとうございました! 

次回は4月6日(土)11時ー14時。
インドのパコラとサモサを
インド人シェフに教えていただきます♪ 

また今後主催とお申込み方法などが
新たに変わる予定です。 

引き続きどうぞお楽しみに!


おしまい 

▽エジプト料理教室イベントページ 

by sarah_51 | 2019-03-16 21:27 | 料理教室 | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし㉜「再発検査と奇跡の声」


10月1日緊急入院し、4日に友が入院中に引っ越しを終え、
5日に9月指摘されていた腫瘍マーカーの数値から、
非情に広範囲の再発転移が考えられると言われていた友。 

友は2018年12月30日に亡くなりました。
看取りとその後はこちら→https://sarah51.exblog.jp/i31/

その検査結果を聞く10月5日。

この日、友は万が一退院できた場合に、
担当するケアマネさんと訪問看護ステーションの
事業所長が面会に来る予定だった。

朝のうちに病院に行くと、
友の表情は硬く、手先がぶるぶる震えていて、
緊張のせいなのか脳転移のせいなのか、
看護師さんに聞いても別段昨日と変わりないという
返事だけだった。

ケアマネさんと訪問看護師さんも
主治医に挨拶したいという。

私は友の緊張しているような様子と、
ここ数日のコミュニケーションの
取れなさ加減から、友が今再発転移の
説明を万が一聞いたとしても、
到底受け止められないのではないか。

と心配していた。 

そこで事前に婦人科外来の看護師さんに
そのことを話して、ケアマネと訪問看護師さんの
挨拶も一緒に主治医と面談できないか。

友へどこまでどのように話すのかも
その際に先生と話しておきたい。

そうお願いした。

あまりにも人が変わったように
生きる気力を失くしてしまっている友のことを
外来看護師さんも聞いていたらしい。

そうね、その通りですね。
そうしましょう!ちょっと待っててください。

とすぐ主治医と話をしてくださって。
事前に友にはわからないように、
私はケアマネさんと話をするとだけ言って
病室を離れることにして先に主治医と会い、

その後部屋に戻る頃に友が外来に
呼ばれるよう時間調整してくれた。

その後ケマネさんと訪問看護師さんと一緒に
主治医の先生にお会いし、
私は先生に現状の友の様子を伝えて、
もし検査の結果再発転移があるとしても、

「がんは変わらずあります。
 でも思っていたようなものはありませんでした。
 経過をみましょう」

という具合に話してもらえないかと
先生にお願いした。

実際のところどうなのかは
特にこの時聞かなかった。
あくまでもこちらのお願いを伝え、
あとは先生にお任せすることにした。

病室に戻って友と外来に呼ばれるのを
待っていると、病棟看護師さんが呼びに来て、

「山口さ~ん、移動しましょうか」

と声をかけたが車椅子でないと
移動できないほど友の動きは
普通ではなかったし、
歩ける感じではなかった。

友は何も言わずただでっかく
目を見開いたまま、
婦人科外来の診察室に入り、
私もいっしょに脇の椅子に座った。

先生はCTの画像を友に見せながら、
ノートにも説明を書いてくれた。

「これがリハビリ病院へ行く前の写真。
 ここが肺で、転移のあるところです。

 次が今回の写真。
 これが肺ね。やっぱり転移はあります。
 ここと、ここも。
 でも前とほとんど変わってない感じです。
 
 そのほかには目立った転移は
 ありませんでした。
 腫瘍マーカーがとても高かったので、
 再発転移を心配したけれど、
 今のところ肉眼で確認できるがんは
 今までの脳と肺の他には見つからなかったです。」

と説明してくれた・・。

友は手をぶるぶる震わせながら、
目を大きく大きく開いて
驚いたようにうなずいき、
その表情はとても安堵したように
こわばった顔から普通の顔に
戻っているかのようだった。 

退院したらまた経過診察に来てくださいと
次回の検査予約をとり、
友は深々と頭を下げて診察室を後にした。

私は病棟に友の車いすを押して戻り、
ベッドに友を座らせた後、

「よかったね。安心したね」

と友に話しかけたけど、
壁の方を向いたまま
反応はなかった。

でもあのほんの一瞬だったけど、
安堵したような表情を見せた友を
思い出して、私は不覚にもここで

友が壁の方を向いているのをいいことに、
そして耳が聴こえないことをいいことに、

涙を止められなくなってしまった。
それはもう嗚咽しながらで、
腕で何度も涙を拭うけど、
全然止まらなくて・・。

友にわからないように、
見えないように泣いてたつもりだったけど
もうじっとそこで動けないほど
涙してしまった。

その時だ。

私の小さくきゅっと握った手に
ふっと手を添えて、
小さくぽんぽん、ぽんぽんと
私の手を叩いたりさすったり。

そして友はまっすぐ私の方を向いて
こう言ってきたのだ。

「さあらさんは愛の人。
 今までも。これからもずっと。
 
 私はさあらさんが思うように
 生きていく。
 それでいい。」

そう言ってまた壁の方を向いてしまった。

はっと思い出した。
それは友が以前私をイメージして描いたという
曼荼羅の作品についていた友の言葉だ。 

a0188838_18232272.jpg

私はノートに、

本当はすごくすごく心配で、
転移のことも心配でたまらなかったこと
今回のことも心配で
もっともっと早く友の心の変化に
気が付いてあげればよかったこと。
誰にも相談できなくてつらかったこと。

いろんな気持ちを殴り書きするかのように
泣きながら書いた。

友は横を向いたままだったけど
私はもう友は聞いてくれてると
確信していた。

a0188838_18255090.jpg
また明日来るよ。

そう言っていつものように
友にハグした。

これまで全く反応がなかった
帰りのハグだったけど、

友は私の背中に両手の指を
ぎゅーーーーぅっと
爪を立ててハグし返してきた。

不思議と何も痛くなかった。
背中にくっきり爪の後が
残っていたけど。

私は友が自分で爪を立てて
ぎゅっとするのをやめるまで、
ずっとそのハグを受け止めていた。

後から思うとこれはまるで、

ナウシカのテトに

「大丈夫。怖くない」

と手を出して噛まれてるシーンじゃないか?

と思うほど、友は色々な恐怖と
不安と、混乱と。

いろんな気持ちをそのハグに
表現してたのかなと思う。

退院したら一人暮らししないといけない。

でもきっとできる。
できるようにするよ。

そう思いながら具体的に
何をどう進めようか。

あれこれ考えを巡らせていた。

つづく 







by sarah_51 | 2019-03-13 18:48 | 医療と健康  | Comments(0)

ご夫婦そろった姿に涙。安田純平さん福岡で講演。


シリアで3年半もの間拘束されていた
安田純平さんが帰国後九州で初めて講演。

旦那さんがその主催者だったので私も
ほんの少しお手伝いさせてもらった。

100名募集の席は案内を出して2週間も
しないうちにほぼ満員となるほど。
当日は高校生や大学生などの学生さんも
含めてみなさんノート片手に熱心に
聞き入っていたのが印象的だった。

a0188838_09480948.jpg
a0188838_09474724.jpg
実はこの講演会、ずっとずっと
楽しみにしていた。

安田純平さんを私が知ったのは、
311の震災の後。

当時私の友人たちがNGOとして2011年5月から
毎月のように東北へ出向き、支援活動をしていた。

そこにめちゃくちゃウマイ食事を作ると
評判のシェフとして参加していたのが安田さんだった。 

▽元イラク軍シェフとして登場している安田さん

当時私は後方支援をしており、
実際に安田さんに会うことはできなかったが、

みんなの信頼が厚くとにかく安田さんがいれば
大丈夫だ。という言葉をよく聞いていた。

そのため私にとって安田さんのイメージは
ジャーナリストというよりもこの
「軍仕込みの凄腕シェフ」
という印象が強かった。

その後安田さんがシリアで拘束されたと
聞いた時、心底驚いたしとても心配した。

とはいえ私は知り合いでもないし、
なんの繋がりもなく当日のNGOはすでに
解散していてなんの情報もなかった。

ニュースで流れるたびに、
本当はどうなんだろう・・。

無事であってほしい。

ただそう思うだけだった。

安田さんが解放されたという
ニュースにかじりつくように
安田さんを見ていた気がする。

3年半もの間拘束されやっと解放されたにも
関わらずトルコから日本へ帰国する
その飛行機の中で、記者からの配慮のない
質問が飛んでいたけれど、

それに答える安田さんの
尋常じゃない精神の強さと
ジャーナリストという職業でなければ
到底対応できないだろうその1つ1つ
誠実な答えに、

「ご本人のお話を福岡でもぜひ聞きたい」

そう思っていた。

シリアの話が出るたびに、
安田さんのお話が聞けたらいいよねと
いつもいつも口にするようになっていて。

今回の講演の話が旦那さんに
知り合いづてに打診が来た時には、

「やります!って言って!!早く!!!」

と内容うんぬんでなくせかしてしまった笑。

講演会当日お迎えに伺って、
我が家のボロ狭い車の後ろの席に
安田さんと奥様が座った時、

私は思わずウルっと来てしまって。。

ああ、、本当に無事に帰国してきて
くださったんだな、、。

と感じたのです。
初めましてなのに、なんかそこに
お二人の「家族」として
そこにいる、、というその様子が
TVや報道で安田さんお一人を見るよりも
さらにリアリティとして安堵した気がする。 

講演会の準備などはその多くを旦那さんに
任せきりだったので。
色々ハプニングがありすぎだったけど、
相変わらず周りの皆さんにアレコレと
助けていただいて。 

シリア人の学生さんも来てくれて
手伝ってくれたりとほんと助かりました。

安田さんに実際お会いして改めて

「純平」

という漢字そのままの方だなぁと思うほど、
混じりけがなく、ありのままで、
人ってあんなに家族とも世の中とも
引き離された苦境にあったとしても、

その人格や優しさを失わずに
いられることがあるんだな・・。

と思うと同時に、その最も大切なものを
守ってくださり、誰よりも戻ってくることを
信じて待ち続けていた奥様と再会できる
機会をくださったアッラーに心から
感謝した次第です。 

お二人の間をどうか絶え間ない愛情と慈悲で
満たしてくださいますように。 

それにしても!

奥様との会話を見ているとほんと
自分たちもああいう夫婦でありたいなぁと。
思うようなお二人でした!

かわゆいご夫婦♡ 

a0188838_09473550.jpg

ぜひ安田さんの講演会開催の時には脚を運んで
ご自身の目で、耳で五感で感じてほしいです。

人生について、社会について、未来について。

きっと何か考え、感じる機会になると思います。

おしまい 


▽安田純平さん福岡講演イベントページ
▽日刊スポーツ 安田純平さん政府関与を否定






by sarah_51 | 2019-03-10 11:01 | こんなことがあったよ!! | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし㉛「ひっこしは 本当にする?」ICUでの日々。


救命センターに入院していた友。
数日後ICUの四人部屋へ移動した。

友は2018年12月30日に亡くなりました。
看取りとその後はこちら→https://sarah51.exblog.jp/i31/

ほとんど会話をしなくなっていた友だけど、
病棟スタッフの筆談には必要範囲
応じるようになっていた。

a0188838_20532981.jpg
それでも、「生きる」という
気持ちが弱くなっているのか、
何も荷物を持ってきてほしくないようで、
必要な水も500mlのペットボトル2本。
その2本だけ買ってきてと言うだけで、

念のためと1本多く買ったり、
おやつなど持って行くと
押し返すようにして断ってきた。

4人部屋の廊下側のベッドの上にいるか、
脚をおろして座っているか。

人と会うことに非常に恐怖感を
あらわにしていた友は、
面会中もカーテンがほんの隙間でも
開いているとまるでゴキブリでも
見たかのような怯えた顔で、

じっとその隙間を見たり、
カーテンの下から同じ部屋の
患者さんへ向かう医療者の脚が
見えると、ずっとそれをコワゴワと
覗いて目で追っていた。

それでも10月4日の引っ越しを
私は進めてることや、
段ボールに何を入れたよとか、
色々な確認も必ず友に聞いてから
するようにしていた。

最も大切な確認。

それは11月に予定していた
友の個展だった。

「翠」

という名前で曼荼羅アーティストとして
活動していた友。

子宮頸がんはまさにその活動を
広げようとしていた矢先に見つかった。

この個展は彼女が病気と向き合い、
何よりも描きたいと思って
つらい治療もリハビリも乗り越えて
また新たに生きていこうとする
その力を持つものだった。

だから開催できるようにしたい。

でも、私にはもうそのこと自体が
友にとって負担でしかないと
思っていた。

個展をするには本当にたくさんの
確認事項があって、1つ1つ
色々なことを考え、希望を聞き、
自分で決めていかないといけないことが
たくさんある。

でも今の友にはもう、
それはただの負担でしかなく、
友のやりたいことでないと感じていた。

アーティスト「翠」には
相方の「ソルト」さんという人がいて、
2人のアートを融合させた、
「幻想まんだら」という作品があった。

このソルトさんに作品展をお任せすることにし、

私は「山口泰美」という人を、
そして相方のソルトさんには、
アーティストとしての「翠」の
面倒を最期までみてほしい。

ソルトさんと私は友がいつまで
生きていられるかわからない中で、
お互いにお互いができることを
彼女の人として、アーティストとしての
命を預かる気持ちで取り組むことにしたのだ。

友にそのことを伝えた後、
作品についてどうすればいいか。
書いてもらった。

a0188838_20535864.jpg
そしてこの日以来、私は個展に関しては
お任せすることにして、
友の日々に時間を使うことにした。

数日後友はふいにこう書いてきた。

「ひっこしは 本当にする?」 

a0188838_20534181.jpg

「行くよ、行けるよ」

私は笑顔で友の顔を覗き込み
そう答えた。

それ以外、何をするっていうんだ。
必ず友は退院して家に行く。

私はそう信じてた。 

10月4日、

そして友の引っ越しは
友がICUにいる間に無事終わった。

a0188838_20570097.jpg
友が好きなブルー系のモロッコ模様の
カーテンを新しく新調して。

いつもゴキブリ見たかのように
驚いて怯えた顔をしてるか
貞子のようにどよんどよんと下を向いて
座っているか。

私のスマホを覗こうともしなかった友だけど、
このカーテンのついた部屋の写真を
見せたらチラっと。

チラット見たんですよ。

その日私はニヤニヤニヤニヤしながら。
見よった見よったよ。
と嬉しくてですね。

翌日5日、婦人科の主治医との
再発転移がないか診察を受ける前に
友に良い兆しが見えたことを
喜んでいたのでした。 

つづく 


by sarah_51 | 2019-03-08 21:24 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし㉚「暗闇」 


10月1日、友はまるで自ら生きる力を
放棄してしまったかのようにICUに入院した。

友は2018年12月30日に亡くなりました。
看取りとその後はこちら→https://sarah51.exblog.jp/i31/


翌日、私と一緒に介助してくれてた
弥生さんとでICUに必要なものを届けに
入ってみると。

広いICUの仕切りのない部屋に、
友はベッドに座ってじっと動かず、
下を向いたまま。

一言でいうとその様子は、

「貞子がそこに座ってる」

かのような様子で、
漫画とかでは顔に縦線がついて、
どろどろした雰囲気の様子って
見たことがあったけど、

ほんとにそんななる人を初めて見たわ、、
っていうほど妖気出てます?
っていうほどおどろおどろしい雰囲気だった。

事前に私は脳外科の主治医と会い、
今回の緊急入院について
脳のCT結果など詳細を再度聞いていた。

おでき先生(脳外科医の友がつけたあだ名)の
話では、特に脳の出血や脳転移の拡大など
病的に変化はないようだとのことだった。

でも1つ先生が実はね、、、、と
言ってきたのは、

「リハビリの病院へ転院した時に、
 どうもステロイドの量を先方が誤って
 多く出してしまってたみたいなんだよね。。。」

と。。

つまり、例えば5mgのステロイドの量だったのを、
転院した際10mg近くに増えており、
そのことを知らなかったおでき先生は、
退院後ステロイドを減らすのに、
5⇒4⇒3と減らしたつもりが、
一気に10⇒4⇒3と減ってしまい、
そのことで痙攣などが出たのではないか。

という話だった。

なるほど。。

それもあるかも?
とは思うものの、
「先生、彼女うつが再発してないでしょうかね」
というのが私の問いかけだった。 

なぜなら、友はそもそもリハビリの病院へ
転院する頃からやたらと人を遠ざけており、

メールもメッセンジャーもFBも
さらにはツイッターなどすべてのSNSを
絶っていた。

それだけではなく、お友達らが何か
「手伝うことはない?」
なんて言おうものなら、
非情に強い抵抗を示したし

「誰にも会いたくない。」

という気持ちが日に日に強くなっていた。
合わせて、突如として、

「自分は何かとんでもないことをしたのでは?」

という恐怖感のようなものを
話すことがあって、それはちょっと
領収証がどこかへいったとか、
別に大したことがなくても、

「自分は犯罪者だ」

ということを言うこともあったからだ。

どんどん自分を追い詰めてる。。

そんな印象を少しずつ少しずつ
もっていたのだけど、
それがついにコントロールできなくなって
しまったのではないかとさえ
思うほど、友は心を閉ざしてしまった。

それはどれくらいかと言うと、

ずっと介助してきた弥生さんでさえ、
「ずっと無言で怒ってるのかと思うくらい、、」
と用事が済んだら返事も何もなく、
問いかけに返事もないとのことだった。

でも・・。

10月4日に友の引っ越しがもう決まっていた。

どうするか・・。
引っ越しできるか。
それともこのまま入院生活になってしまうのか。

すでに契約も済ませ、引っ越し業者との
やり取りや生活保護課の方への連絡など
様々な手続きが終わっていて、
あとはもう引っ越すだけという状態だった。

私はとにかく友に聞こう。

そう思って引っ越しが4日だけど、
準備そのまましていっていいかな。

と聞いてみた。

返事は下を向いたまま、

「どうでもいい」

と言っただけだった。

まぁ、そりゃそうよね。
今ICUだしー。
それどころじゃないわなぁ。

と思った私は、

「じゃとりあえず私やっておくね」

と書いておくにとどめた。

どこか私の中に、
「どうでもよくない」
友の気持ちがあるように思えて、
「引っ越ししない」
という選択肢が浮かばなかった。

それよりも導尿(おしっこを管で出している状態)
されたことを何か怒っているようだと
看護師さんからあり、友が何に怒っているのか。
わかりますか?

と尋ねられ、

「あ。子宮頸がんの術後から自分で出せなくなってたんですけど、
 少し自分で自尿が出るようになってきてたんです最近。
 だからまた導尿になってしまって、
 もう1度最初からやり直しになるのが怖いのかも」

と答え、友に筆談で一人で立てるようだったら
導尿はなくなること、1,2日ならまたすぐ
感覚が戻っていくから心配いらないことなどをお
説明してあげてくださいとお願いした。

筆談なら見たい時自分で読むだろう・・・。

脳になんら問題がなかったと聞いて、
私はなんであれ普段通り友と接することを
心に決めて日々過ごすことにした。

そして携帯を見ようとするたび、
ぶるぶる手が震え、目が飛び出したような
表情で怯えている友を見て、

「携帯持ってようか?」

と聞くとおずおずと渡してきた。

それはお願いしますという感じではなく
何かばっちいものを早く、早くどこかにやって!
という感じでぶるぶるしながらだった。

「大丈夫。もうカバンにしまったよ」

帰り際、私は友をハグしたけど、
反応はなかった。

でも少なくともなんとか私は
コミュニケーションが取れるようだった。

とにかく、

①友の知り合いには面会謝絶を伝える
②引っ越しをする
③退院後のケアについて調整する

という3つをすることにして、

一切友の引っ越し先や
状態についても見せないことを決めた。

なぜならそこには、
普通のお友達が想像するような
友はどこにもいなかったし、

きっと友も自分ではないと
思っていると思ったから。

とにかく友を守ろう。

そう思って着々とことを
進めることにした。 

つづく 







by sarah_51 | 2019-03-06 16:55 | 医療と健康  | Comments(0)