ゲストをお呼びしてその方について
あれこれ聞いてしまおうという会。
今回のゲストは、
フォト・ジャーナリスト久保田弘信氏。
簡単に言えば、戦場ジャーナリストだ。
7年ほど前、東京でひょんなことから
出会った久保田氏。以来彼の講演会には
何度となく脚を運び話を聞いてきた。
講演会ではなかなか時間ゆっくり話を
聞くことができない分、この日は
たっぷりと「久保田さん」の人となりについて
その仕事について、様々なことを聞かせていただいた。
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岐阜県出身、東京都在住。
もともとは天文学を学び物理学者になりたかったという。
天体観測というよりは、ホーキング博士のように宇宙の仕組みや
その発生などを頭で考えて過ごすのが好きだった。
ところが将来を夢見て大学院へ、、という矢先に
父親が病気になり進学を断念。
理科の教員免許を持っていたことから、
教員として働こうとするも岐阜県内には募集がなかった。
募集が出るまでの間と思い始めたフリーカメラマンの仕事。
カメラは大学時代にスタジオでアルバイトをしていた際、
厳しく指導され、その技術は大学時代にすでにプロに認められたほど。
東京で結婚式やイベントその他様々な場で働きながら教員募集を待つも
その後も募集がなく、旅行雑誌の仕事で海外へ。
タイやマレーシア、シンガポールなど美しい自然や街並みを
撮影しその国の魅力を伝える仕事をしていた。
そんなある日、パキスタン人に出会い訪れた先で難民キャンプに
行くことに。想像を絶する世界がそこにはあったという。
支援が届かず小さな子供たちでさえも
命を落とすことも少なくない日常を目の当たりにし、
それまでその国の美しい魅力を伝えるためにと撮っていた
カメラから、誰にも目にとめられない現実を伝えることを決意。
パキスタンやアフガニスタンなどで撮影した写真を
帰国後キャノンサロンにて全国各地で展示会を行った。
その後アフガン戦争が勃発。
以前より取材に入っていた久保田さんはTVで解説を行うなど、
ジャーナリストとして活躍。2003年3月のイラク戦争では、
バクダードから激しい空爆の様子などを現地レポートし続けた。
以来、イラクやアフガニスタンなど紛争地域を継続して取材。
時に前線で命がけの取材もしながら、単なる紛争の様子だけではなく、
その地域に生きる子供や家族など、その生活や想いをも数多く
カメラに収め講演活動などを行っている。
辞めたいと思ったことはないのだろうか。
思い切って聞いてみると、
「いつも、もうこれで終わりにしよう」
と思うという。
でもそう思っていると支援者が現れ、
またこれまでの取材で家族のようになった友人たちの
その後の様子も気になりまた出かけて行く。
そんな繰り返しなのだという。
当然ながら取材中何もできなかった、
救えなかった命もたくさん見てきた。
たった1人でできる現地支援は非常に限られていた。
でもだからこそ伝えなくてはと思う気持ちもある。
日本では自炊も得意で煮物などもさっと作るという
その味はかなりの腕前だとか。
「美味しいものは食べたほうがいい。
争う気持ちがなくなるから」
と笑う久保田さん。
元来身体が丈夫なこともあり、取材先で食べれないものや
お腹を壊したことはないという。
その人柄から世界各地に友人たちも多く、
美味しいものにも詳しい。
しかしいつ何が起きるかわからない仕事だからか、
その生活は非常にシンプルだ。
海外での長い取材中もスーツケース1つと
リュック1つで回るという。
「1人でも多くの人に伝えるのが仕事」
そう惜しみなく話をしてくれる久保田さん。
自分が見てきたこと、その真実を伝えることを
大切にしているが、自分自身を伝えることは
実はあまりない。
久保田氏の写真も少ない中で、
会の終わりに撮ったこの写真は本当に良い1枚になった。

ほんと「バカップルだよね~」
と何度となく言われた我々夫婦。。。笑
久保田さん念願の?
「寿退職」
をして戦場ではなく
家庭で良きパパ、夫として活躍する日も
楽しみにしています。
でもまた出かけちゃうのかな~笑

▽久保田弘信オフィシャルサイト
▽DVD・書籍、グッズ販売
おしまい