アッサラームアライクム!
みなさんの上に平安がありますように!!!
今日はとても素敵なことがありました。
最近ほぼ毎日通るとある場所に、いつも同じ場所で空き缶を集めているおじさんがいます。
自転車にたくさんの空き缶を入れた袋を乗せて、いつもいつも空き缶をごみ箱からあさっています。
ある時はそのゴミ箱の近くで座ったまま眠っていることもあります。
またある時は空き缶をつぶすために、何やら作業していることもあります。
ずっとずっとその方のそばを通り過ぎるたびに、
怖い顔だな・・・
・・と思っていました。
いつも表情がなく、フードをかぶっていて、ひげももじゃもじゃで髪の毛はフードからはみ出るほど長く、
いわゆるホームレスの方かな・・という風体でした。
子供のころ、こうした人には
近づいちゃいけないよ
そう言われた記憶があり、何か汚いモノを見るような気持でした。
大人になり、都内などでふと普通のきれいなビルのちょっとしたところで寝ている方たちを見ても、
私はそのまま通り過ぎる日々でした。
見慣れてくるにつれ、そこにはあたかもその人が「存在しない」かのように、
通り過ぎて行きました。
そんな私がムスリムになり、初めて訪れたエジプトでの出来事が、
私の心にどこか変化をもたらしていました。
エジプト国内は貧富の差がまだまだたくさんあります。
小さな子供でも働いて家族を助けているような場所もあります。
観光客は見ない場所には食べ物にも困っている方たちがたくさんいるのです。
金曜礼拝の日にはそうした方たちへの食事がとてもたくさん用意されています。
日本でモスクで食事が出るというと、私たちはお友達とよく一緒に食べて帰りました。
ですから、私もついそこで食べようとしたのですが、友達が
「 私たちは自分で食べるものを得られるのだから、ここでは食べません」
そう言ってレストランに行きました。
そしてそこで残ったパンを彼女はそっと包みかばんに入れました。
「 それ、どうするの ? 」
と聞くと、
「 帰り道に必要な人がいたらあげるわ 」
とあっさり。
私はそんなことを日本で考えてみたこともありませんでした。
「 日本にはそういう人はいないよなぁ・・・ 」
そんな風に思ったものです。
でも帰国してみると、実際日本でもとてもたくさんの方たちが日々生活に困窮していることがわかりました。
今までそうしたことに
関心を持っていなかっただけ
なのです。
それは決して貧しい=ホームレスをさすのではありません。
金銭的に貧しい人もいれば、誰とも話す機会がないまま1日が過ぎるような、
心の中に寂しさと貧しさを持った方たちもたくさんいました。
そしてそうした人たちは、私たちの
すぐ隣に・・・
いるということがわかったんです。
そして、イスラームでは誰であれ困っている人たちに尽くすことを勧めています。
でも全ての人にあれこれできませんよね。
なのでアッラーはこう教えてくださっています。
「 あなたがたが施してよいのは、両親のため、近親、孤児、貧者と旅路にあるもののためである。
本当にアッラーはあなたがたの善行を深く知っておられる 」
ー 聖クルアーン 第二章 215節 -
でもですねぇ・・・・。
なんとも「勇気が」出ませんでした。
ずっとずっと何かそうした人を見たら、すぐ持っているものでも飴の一つでも差し上げよう・・・。
そう思っていてもなかなか・・・。
それに、実際「施し」というのはとても難しいです。
相手の方を傷つけたりせず、快く受け取ってもらう方法がなかなか思いつかないものです。
そんな折、友達のお子さんが帰り道、ホームレスの女性らしき方に、
自分の持っていたお弁当をあげた・・・・という話を聞きました。
ええ??
大丈夫だった??
と思いきや、
とても喜んでくれたとのこと・・・。
正直、小学生のその子に負けた~~~~><
と思いました。
私は何を恐れているんだろう・・・と。
そして・・・・。
今日たまたま習い事まで時間があまってしまい、
喫茶店に入るにはお金ももったいないし・・・。
と公園でクルアーンを読むことにしました。
ついつい読んでいると声が出てしまうので、お店などよりは公園の方がいいかな・・と思ったからです。
最近紫外線がきついので、日差しをよけてベンチに座って、
しばらくクルアーンを読んでいました。
すると・・・・。
あのおじさんが!
そう・・。
いつも空き缶を拾っているおじさんが公園に入ってきたではありませんか。
何かを探しているようでしたが、脚も悪そうで引きずりながら、
しばらく公園内をうろうろしていたように思います。
あぁ・・・何か声をかけてあげたいけれど・・・。
そう思いつつもチャンスを見出せずにいると、
ぴゅ~~!!!
ととても冷たい風が・・・。
一気に身体が冷えてしまい、
あ~こんなところにいては風邪を引いてしまいそう・・・・><
そう思った私はその場を離れて歩き始めました。
すると、ふと自動販売機が目に入りました。
あたたかいモノが飲みたいな・・
そう思い自動販売機の前まで行ったとき、
「九州限定!」と書かれたコーヒーが目に入りました。
美味しそうだな~。
これをあのおじさんにも飲ませてあげたいなぁ・・・。
そう想い、100円でそのコーヒーを買い、公園に戻ると、
おじさんは日当たりのよいベンチで煙草をすっていました。
受け取ってくれるだろうか・・・。
そう想い、しっかりと両手で缶コーヒーを握りしめ、おじさんに、
「 あのぅ・・・。 」
と声をかけると、
「はい?」
とフードの中から視線をあげてくれました。
「コーヒーはお好きですか?」
と聞くと、
「 はい。好きですが・・・・ 」
と。
ああよかった!コーヒーが好きで!
そう想い、
「 これよかったら飲んでください。寒いから・・・ 」
そう差し出すと、とてもうれしそうに
「 ええ? ありがとう。 」
と受け取ってくれました。
そして、
「さっきあなたあそこの日陰のベンチに座っていたでしょう?
あそこじゃ寒かろうに・・・・と思ってたよ」
と言ってくれました。
「 ありがとうございます^^ 」
私がそう答えると、
「 春になったけど、まだまだ太陽のぬくみが恋しいね。
きっともうすぐ熱くなって、そんなことも忘れちゃうんだろうけどね。 」
そういうと、
片手にコーヒーを高く高くあげて、
「これ。本当にありがとう!!ありがとうね!! 」
そう言って、
私が今まで見たことのないような笑顔で笑ってくれたのです。
その時、フードの中に太陽の光がすぅっと入っていって、
おじさんの顔がしっかり見ることができました。
昔テレビで見たことがあった「くしゃおじさん」みたいな顔で、
しわしわの顔でしたが、とっても温かな優しい目をしていました。
そのまま私は歩きながら溢れる涙をとめることができませんでした。
アッラーに今まで何度も見掛けていたのに、
何もしなかった私の罪を許していただけるよう謝りました。
そして預言者さま(SAW)がおっしゃっていた、
天国の住人のほとんどは貧しい人たちでした
という言葉を想い出しました。
そう・・・。本当に彼のような人が天国にはたくさんいるのだと確信します。
私はたった100円のコーヒーを差し上げましたが、
彼は私にアッラーがとってもとっても大好きな
心からの笑顔
を私にくださったのですから。
大きな大きなものを私はいただきました。
本当にそこには、アッラーのお慈悲と愛情というものがいかに素晴らしいかを
思い起こさせてくれる大切な大切な笑顔でした。
困っているとき、誰からも存在さえも認識してもらえないような生活を送っているとき、
そんな素敵な笑顔と優しい心遣いを想うことができるでしょうか?
おじさんのために一生懸命ドゥアーしようとましたが、
私は自分の両手を顔の高さに上げ続けることができないほどに、
泣き崩れてしまいました・・・。
いつか彼がマスジドの扉を叩く日が来ることを、
そして天国の扉をあの素晴らしい笑顔で入ることを心から願います。
おしまい