みんさんに平安がありますように!!
震災によって本当に個人個人、それぞれにいろいろな想いがあると思います。
さあらと旦那さまは、最初の地震を自宅のテレビで知りました。
普段昼間にニュースなんて見てないのですが、
本当に偶然つけていたのです。
でも、いつもの地震速報・・・と思って見た後に、
震度 7 !?!?!?!?!?
とびっくりたまげて、あわてて実家へお互い連絡をとりました。
本当にたまたま直後だったために、いったん連絡は取れましたが、
それから数日連絡はとれなくなりました。
なんだ!?!? いったいどうなってるんだ!!
そんな気持ちで、ずっとテレビをつけっぱなしにし、
日本地図の周りが津波警報の赤で変わっていくのを見ながら言葉を無くしていました。
それはまるで映画を見ているような不思議な光景で、
現実のものとは思えない感じでした。
それから3日くらい。
いろいろな人の安否を確認したり、日本語学校の時の生徒さんに連絡し、
特に一人暮らしの子にはスカイプで連絡を取りながら、
帰宅までの誘導をしたり、励ましたりしながら夜を共にすごしました。
何かできることはないのか ???
と情報を集めたり、配信したり・・・。
その間、身体は異様な緊張感にあり、力が入りっぱなしで、
心臓のあたりはそれとはまた別に、
きゅ~~~~~
と締め付けられて苦しい。。。。
そんな感覚がずっとありました。
このままじゃ倒れてしまう・・・。
我が家からは旦那さまのくだらぬおやじギャグは消え、
テレビを見たり、地震の情報を見る以外、何も手につかないような時間が過ぎました。
ようやく3日目に家族の無事が確認でき、ほんの少しほっとする時間が持てました。
ちょうどその日の朝、アパートの草取りがあり出なければならなかったのですが、
家族の安否がわからないうちは、それに出る気も持てませんでした。
無事が確認できたので、参加しましたが、
草を黙々と、また時々話しながら抜く作業は、ほんの少しだけ、
地震の事を忘れる時間をくれました。
でも・・・・
安否は確認できたものの、ライフラインは止まったまま・・・。
長い列に並んで、公衆電話をかけてきてくれた義母の様子では
元気そうではありましたが、別の心配が。
こっちに来れないのかしら … ?
そう。毎回連絡が取れるわけじゃない。
その間にもテレビでは悪い知らせや、津波の状態ばかりが放送され、
余計に心配をあおりました。
でも・・・
こっちは大丈夫よ。 なんとかやっているから。
実家へ提案してみても、返ってくるのはそればかり。
必要な食糧等送ってもらいたいものは聞きましたが、自宅が倒壊せず、
避難所にいるというわけでもない状態につき、そこでなんとか踏ん張るという感じでした。
この頃がピークだったように思います。
海外に住む多くの友人から、
ものすごい必死の泣き叫びに近いメールやスカイプへの連絡が入り、
大丈夫なのか?? 無事なのか ???
家族は皆どうしている ???
危険なら、うちに来ていいから !!
への対応で忙しくなりました。
そして、海外メディアの方が、より悲惨な映像を流すようで、
遠い国であればあるほど、
あの映像を見て泣いている・・・
悲しみで食事もとれない・・・
と言った声が多かった。。。
そして、
日本のためにみんなで祈っている。
きっと復興してくれると信じている。
という言葉もいつもそえてくれました。
海外に地震地域の方の家族がいる方は、きっと皆さん連日連絡が入り、
こっちに来い!という誘いに応じるか否かで悩まれたことと思います。
でも日本人、または日本人化した外国の方たちの中には、
日本に残ることを決心した方も多かったように思います。
でもそれがもとで喧嘩・・・・
というもの多かったと思います・・・。
なんで安全なところへ逃げないんだ?
家族と一緒に安全なところへ行くのがあたりまえだろう ??
いいから、お前たちだけでも行ってくれ
日本人で海外在住、日本に両親を残している私の友人も同様に、
強く誘ったけど断られた・・・とショックと悲しみとイライラ爆発してました・・・。
離れてる方がメディアに左右され、実際よりも
不安がより強くなる・・・・
そう思いました。
私自身も福岡にいて、安全なのですが自分が思っている以上に心配していました。
それがわかったのは、やはり家族や友人の声を聞いた時でしょうか。
まったなしで涙でした。
でも、安全な場所にいる私が泣くわけにはいきませんから、
そりゃ~必死でこらえましたよ。
でも、同じ安全圏にいる方との励まし合いや、
電話などでも言葉にならない気持ちが涙になった時、
そうやってこらえていた悲しみと安堵も、
知らず知らずにたまっていくのだとわかりました。
震災から1週間が過ぎ、私はどうしていたかと言えば・・・。
目の前にいる、自分の患者さんが亡くなっていくのを看とり、
また待っていてくれた患者さんの言葉を聞き、
被災地へ行きたい、どうにかして何か役に立ちたい・・・
そう思っていた自分にはっとさせられました。
私はガンの末期の方を今主に見ています。
ほとんどの方は、入院後、数日または数週間単位で亡くなります。
それとお互いわかっていていつも会って話をしています。
時間は皆平等だと言いますが、
病人や苦しみにある人にとっての1分は、
楽しみの中にある1分よりもずっとずっと長く、
時にそれは永遠のように感じる
私はそう思います。
だから、1日私が来るのを待ってくれていた彼らは、
彼らの寿命から考えたら数年、または数十年も待っていたかのように感じる日も
あることでしょう・・・。
自分の与えられた場所で、できることをしよう・・・
そう切り替え、テレビを消して現実に向き合いはじめました。
そうでなければ、今もきっとテレビに右往左往し、
買占めの一人になっていたかもしれません。
震災から2週間。
各地でその状態も気持にも温度差が出てきているように思います。
物資が届くようになり、道路や電車が通り、不自由ながらも復興へ向けての
動きが出てきている地域。
まだ物資も届かず、ライフラインも止まっている地域。
仕事などを再開し始めた方たち、仕事を失ってしまった方たち。
震災のあった地域では、これよりもっと多くの差が出てきていると思います。
遠くにいる私たちは・・・。
今、震災のニュースを見たくない症候群
になりつつあります。
これからが復興支援が必要で、これからがうんとがんばっていかなくちゃいけない
時に入る・・・・それは本当にわかっているのです。
でも。
たぶん。恐らく。
そうでなければ、自分たちの心を穏やかに保てない・・・
そして
日常を当たり前に送ることができない・・・
ように思います。
もちろん、支援をしたくないとかそういうことではないのです。
遠くにいた者も、いた者なりに、
その心はいろいろあった・・・
ということなんです。
そして、今自分の環境でできることをしっかりやっていこう。
そう思う時、何をしたらいいのか?
今の私の結論!!
良く寝て、よく食べ、夫婦仲良く健康を維持すること。
そして家事もちゃんとして、旦那さまを支えること。
仕事にもしっかり行き、自分の技術を確実に活かしていくこと。
そしてこうして、だめだめな私に、
まだ猶予を与えてくださっている神さまに感謝し、
いつか必ず訪れる自分の死と来世のために備えること。
いつも悲しみと苦しみにある人たちを想いながら・・・。
そんな風に思う今日この頃であります。
おしまい
▲ by sarah_51 | 2011-03-29 16:54 | こんなことがあったよ!! | Comments(0)