カテゴリ:医療と健康 ( 46 )

「脳転移」友とわたし㉕「友が聞きたかったこと」

改めて主治医から「来年はない」という
告知を受けた友。
*友は2018年12月30日亡くなりました。㉓からは友が
 亡くなってから振り返って記事を書いています。

私たちは近くの広い公園に向かって
ヨロヨロ歩いていた。

「あっちに行こう」

という感じで私がベンチのある方を
指さすと友は、

「時間は大丈夫?」

と聞いてきた。
その日私は旦那さんが夕飯がいらなくて
ゆっくりできたので、
大丈夫だよと歩き出した。

「1人になるのが怖い」

小さくそうつぶやくように友が言い、
うんうんと言うように肩をさすって
あそこに座ろうと返事をした私。

そこからどれくらいの時間
過ごしただろう。

たぶん4時間くらいいたかも。

泣くでもなく。
叫ぶでもなく。
怒るでもなく。
あれこれ話すでもなく。

ただ友と私はそこに座って、
何を話すでもなく、
何を見るでもなく、
ただ、そこにいた。

目の前で小さなお子さんとお父さんが
ボールで遊んでいて、
天気はまぁまぁ良かっただろうか。

緑の葉っぱが時々
風で揺れて、その合間から
光がさしたりなんだり。

ふっと風が吹くと
友と私はその葉っぱを見上げたり。
見ているというか、感じているというか。
感じてもいないかな・・。

診察室で友が主治医に余命を聞いた後、
私は先生に「末期の状態ということですね」
と再度確認していた。 

主治医はまだ抗がん剤をする気ではいたが、
希望すれば緩和ケアへ移行できるのかを
確認したかったからだ。

主治医の返事は
「そうですね。そのように捉えて良いと思います。
 治療に関しては次の検査で最終的に相談しましょう」
ということだった。

私は身近な人でこうやって余命などを
聞くのは友で3度目だった。 

1度目は旦那さんのばぁちゃん。
「残念ですが時間がもうあまりありません」
だった。

その日私は世の中の全ての色と言う色が
なくなったような感覚で外に出て、
何を見ても色を感じず、
「魂の色」
が世界中のどんな美しい花や
空や、緑や、モノよりも
美しいものか知り涙が止まらなかった。

2度目は昨年6月に亡くなった同級生だ。

急性骨髄性白血病で治療中、
病気は改善して元気になってきていた矢先、
脳出血で意識不明になり余命を伝えられた。

その時私はご主人から本人のラインに
本人の代わりに書かれた文章でそのことを知り、
隣の部屋にいた旦那さんが
飛んでやってくるほどその場で
倒れこんで泣いていた。 

3度目の友は・・・。

なぜか不思議と静けさだけがそこにあった。
私は友が余命を伝えられたというよりも、
どことなく自分がそう言われたような
感覚で、そこにいる子供もお父さんも、
そこにある木々もこの風を感じることも、

もうしばらくしたらなくなるのか。

そんな気持ちでじっと静けさだけが
そこにあった。

友を励まそうとか、
何か声をかけなくちゃとか、
いっしょにいてあげなくちゃとか。

そういった気持ちもなく、
不思議となんとなく何かに時の流れを
ゆだねるようにしてそこにいた気がする。

そしてふとなんとなくそうしたらいいような気がして、
友の頭を私の肩にもたれるように
抱き寄せて、肩にそっと手を置いてみた。

友はびっくりするくらい、
遠慮なく私の肩に寄りかかってきて、
そのままずっと動かなくなった。

友の身体からは哀しみや
辛さやしんどさとか、
そういった何も感じさせるものはなくて、
わたしと同じ、なんか「無」の感じだった。

ずいぶんと時間が経って、
日が傾いて来た頃、友がおもむろに
寄りかかっていた頭と体を起こして、
ノートを出した。

聞いてきたことは2つ。
「神さまのこと感謝のこと」

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私たちはゆっくり色々な話をした。

友が聞いてくるままに、
私は答え、また友が聞くという感じ。

神さまはある人に良いことを望むと、
その人を試練にかけます。

というところで、友はびっくりして、
「バチが当たった!ではない」
と書いている。

ずっとずっと自分を責め続けて、
ずっとずっと自分が犯罪者で、
ずっとずっとそのせいで病気になって
それで神さまも何もかもが
自分を見放したと思っていたようだ。

また友は小さい頃耳が聴こえなくなったことすら
母親に理解されず激しい虐待にあっており、
父親もまた疎遠なまま自殺していた。

人間関係でもたくさんの苦労をして
人が離れていくことも経験しつづけてきた。

どこか揺るぎないモノの触れた
感覚はなかったのかもしれない。 

私は神さまと人を比べることはできないけど、
神さまの忍耐強さと慈悲は底なしに
すごいぞ。自分が弱く、何もできないと
わかって初めて人は心から感謝をしたり、
悪かったなぁと思えるけど、
元気な時はなんでも自分でできると思い込んでいて、
なかなかそんなことを考える機会もない。

だから今友が自分がそんな存在だと思って
いるんだとしたら、神さまはなおのことそんな友を
絶対に見放したりしないし、
自分の弱さに気が付いた今はむしろ良いことの
始まりだよというような話をしたと思う。 

だとしたら、「必ずいい方向にいきます」。 

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この時の言葉を後に友は弥生さんにも
辛いとき指でなぞって話してくれたらしい。

私は励まそうとしたわけではなく、
ただ真実を伝えただけ。

これからの不安や起きうることではなく
この時私と友はそれまで以上に
「生きる」
ことについて話していたと思う。

だいぶ日が落ちかかってきて、
そろそろ行こうかとなり、
もう今日はお弁当買って行こう、
そうしようと言って、

近くのデパートの地下で
こないだ食べたら美味しかったよ
という弁当を見て、2人で同じ弁当を
買って車で家まで送り届けた。

じゃあまたね。

ご飯食べるんだよ。

と言いながら。
そして私はこの日のことが、
2日後に彼女の人生に大きな決断を
させるとは全く思いもしないまま

とりあえずご飯を食べれそうで
よかったと帰宅したのだった。 


つづく。 



 



by sarah_51 | 2019-01-12 22:03 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし㉔「告知」


リハビリ病院を退院し、
脳外科・婦人科の再診の日が来た友。
*友は2018年12月30日亡くなりました。㉓からは友が
 亡くなってから振り返って記事を書いています。


脳転移の放射線治療効果が出ているかを
聞くのがメインの診察だけど、
婦人科の受診もあって全体的に状況を
再度見直すための診察だった。 

退院前から少しずつ変化を感じていた友が
当日までにノートに自分が気になること、
聞きたいことを書いてきていた。

でも。

その診察当日の友はたった1週間で
まるで別人のようになってしまっていた。

ひと言でいうなら、

「岩」

のようになってしまっていた。

友とは病院の待合室で待ち合わせだった。
確かにそこに友はいた。
自宅からバスですぐなのでバスで来たと思う。

でもまるで岩のようになった友は、
まっすぐ前を向いたまま、
反応がほとんどなかった。

会話にならず、先生に聞きたいこと
書いてきた?と聞くと視線を変えることなく
ぶるぶる震える手でカバンを開けようとし、
手伝うとノートをおずおずと見せてきた。

少し前に書いていたのだろう。

それほど震えはないけれど、
それでも元々の友の字とは異なり、
緊張している様子が伝わってくる文字だった。 

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友は子宮頸がんと診断された時、
まだ初期のがんだと言われていた。

でも手術をした際、そのがんは想像以上に大きく、
悪性度の強さを医師も私も感じていた。 

脳転移がわかった際、
「治療をしなければ」
ひと月もたないだろうと言われたけれど、
それも治療ができたので、
友はそこまで自分の時間が短いとは
思っていなかったところがある。

治療がうまくいった場合でも、
多くの人が半年から1年のピークであると
説明を受けていたけれど、それも
あくまでも統計上のものであって、
長い人もいるし、もっと短い人もいるという
話だったし、

また脳外科の先生は主治医ではなく
あくまでも「脳」の状態から言っているだけであり、
主治医からいわゆる「余命」を聞いたことは
本人はこれまでなかったのだ。

診察当日血液検査と脳のMRI検査をして、
まずは脳外科から受診した。

なんとか友を立たせて診察室に入るも
先生とは会話にならない。

友には言わず先生にだけわかるようにして
私は先生に伝えた。

「この1週間で急激に震えと様子がおかしくて。
 転移の影響なのかどうなのかよくわからない状態です」

すると医師からの説明は驚くもので。

「MRIの結果はとてもよかったですよ。
 治療前と比べて浮腫みがかなり減っています。
 がんそのものも小さくなってます。
 薬を少し減らして調整したいと思います」

という返事だった。

それを聞いた友は目玉を大きく見開いて
驚いた様子だったが、それ以上の反応がなく
医師が薬の減らし方を説明する間、
何度となく

「わかりますか?」

と聞かれたがもはや後で説明しておきますとしか
言いようのない状態だった。
ノートに減らし方を書いてもらった。 

浮腫に使用していたステロイドを
少しずつ減らしていくというもので、
間違って飲むと急にけいれんなどを
起こしてしまう人がいるため、
十分注意するよう説明を受けた。 

診察室を出て待合室に座ると、
友はふっと力が抜けたように硬い岩から、
小石みたいになった。

私のその時書いてきたのは、

「余命を聞くことしか考えてなかった。
 おくすりとか、むくみとか、
 へらすとか、たずねられて、
 何も考えてなかったことに
 隠そうとしたことに 
 ごまかそうとしたことに
 申し訳ありません。」

だった。

いいんだよ、いいんだよと
言いながら肩をさすっていい子いい子と
頭を撫でた。 

少しほっとしたのだろう。

友の表情は次の婦人科主治医の
診察までの間にだいぶ緩んできた。

そして主治医に呼ばれ婦人科診察室へ。

「脳外科の先生の話は聞きましたか?」

という出だしに私も友も、
心少なからず軽い頷きをした。 

ところがその後聞いた言葉は、
そこからまるでジェットコースターで
急落下したようなものだった。

「腫瘍マーカーがかなり上がっています。
 かなり強い反応で他に転移がある可能性があります。
 次回首から下のCTを再度撮って確認します。」

さらに、、、転移・・・。 

場所として考えられるのは、
骨盤内(腹部)、骨、その他の内臓とのことだった。

何か聞きたいことはありますか?
という医師の言葉に友はおずおずと、
ノートに書かれた文章を指でなぞった。

「私の余命を」

のところで、手が震えていた。

主治医は友の方にしっかりと向いて、
ゆっくりとわかるように説明を始めた。
時折ノートにも書きながら。

「私たちはいついつというはっきりした
 時間がわかるわけではありません。
 でも検査結果などから言えるのは、
 少なくとも「年単位」では考えられない。
 ということです。
 
 数か月かもしれないしもう少し長いかも
 しれません。でも来年またこの同じ時期が
 あるかといえば残念ですがそれはないと
 思います。」

「来年は、、、、」
と再度聞く友に、

「ないということになりますね・・・」

と。

この日の診察で肺の転移に行うはずだった
抗がん剤の件は、一旦保留として、
10月5日に再度CT検査をしてから、
最終判断をすることになった。 

友の希望である「曼荼羅を描きたい」
という気持ちと、次の抗がん剤で
しびれが出るようであれば、
曼荼羅に支障が出るため希望しないという
ことも私の方から事前に聞いていた希望として
この時伝えた。 

友は聞いているような聞いてないような。
固まってはいないけれど、
それほど反応もなかったのもあって、

わたしと主治医は次回の診察日と検査時間を
スケジュール帳を見ながらすり合わせ、
友に次回はこの日ねと言って、
とにかくまた次回診察でという感じで、
先生に頭を下げて診察室を出た。 

そこから私はどうやって会計したり
なんだりしたか覚えていない。

恐らく私たちはずっと無言だった。

薬を薬局でもらってその後、
私たちはどちらが言うでもなく、
病院の前にある大きな公園に
ヨロヨロと歩いて行った。 

長い、長いあの日の時間を
私はとても強く覚えている。

つづく 

 



by sarah_51 | 2019-01-11 21:40 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」友とわたし㉓「始まり・ふるえ」


友のリハビリ病院退院が見えてきた。
*友は2018年12月30日亡くなりました。ここからは友が
 亡くなってから振り返って記事を書いています。

まさかの㉓とかまで書いてるので、
ここで少し整理しようと思う。

2018年
3月5日 子宮頸がんの手術のため入院 
3月24日 退院。
4月3日~抗がん剤治療スタート 
6月   きつくて抗がん剤ストップ。抗がん剤の味覚障害の友に言ったひとこと
7月   曼荼羅教室再会に向けてサロンで体力トレーニング開始。
8月1日 曼荼羅ワークショップ復帰。復帰の様子

8月15日 脳転移見つかる。脳転移の記事開始①
8月20日 救急車で病院へ。脳転移ブログ⑦遠隔で救急車を呼ぶ
9月3日 リハビリ病院へ転院。脳転移ブログ⑮合宿所で忍耐の日々
9月21日 退院。 

書きだしてみるとかなり目まぐるしいわ・・・。

転移が見つかってから荷物を整理して、
大処分大会をして・・・。
転院先で1日5千歩も病院内を歩いたりなんだり
させられて(いや自分でもしてw)いる間に、
私は、生活保護や年金、アパート探しにあれこれと
忙しくして。 

でもこの時9月の入院はあくまでも、
「脳転移の放射線治療」
の結果が出るのにひと月ほどかかるという
前提で、その結果が出るまでは本来は
退院できたんです。

でも友は当時歩くこともままならず、
当初車いす状態だったので、
とてもじゃないけど4階建ての4階の
アパートで猫3匹と暮らすなんて戻れずで。

一旦リハビリ病院へ行き、
その後また主治医の病院へ戻って、

①脳転移の部分が改善してるか検査する。
②子宮頸がんのその他の転移がないか検査する。
③肺転移に対して抗がん剤を行う。

という3つの予定が進行中だった。 

でもリハビリ病院にいる間ずっとずっと
友が言い続けていたのは、

「曼荼羅が描きたい」

ということ。

1人の時間がなかなか作れない病院ではなく
自宅で早く曼荼羅が一人で描きたい。

「誰にも邪魔されたくない」

という気持ちが強くなってた。

なので今後の治療については
何度となく話し合って、 
友の気持ちを聞いて、
可能な限りの時間と予後と
治療の効果とメリットデメリットを考えて。

「曼荼羅を描くために抗がん剤はしない」

という結論を改めて出した。 

よく誤解されがちだけど、

腫瘍を小さくするために治療するんじゃない。
画像でみる転移を改善したいから治療するんじゃない。

したいことがあって、
そのために治療するんだし、
やりたい、生きたいことがあるから

「それを選択する」も「それを選択しない」

も両方あるんだっていうこと。
それを友と私は何度も何度もじっくり話し合った。

話し合ったといっても私はもっぱら、

「やりたいと思うならとことんやったらいいよ。
 誰かがもう止めたらいいのにと思っても、
 友が「治療する」ということこそが希望で
 それをしたいならいくらでも付き合う。
 でも同じように「やめたい」先に理由があるなら、
 やめたっていいんだよ。」

と言っていただけ。
あとは情報の提供だったかなと思う。 

「抗がん剤をしない」

という結論が出たことを私は
戻る先の病院のソーシャルワーカーさんへ連絡し、
今後どうしたらいいかを相談した。

すごくキレる方で色々と
先生へも働きかけてくれて。 

でもやはり一旦退院しないと、
事前に先生のところへ入院中別の病院へ
相談へいくというのはできないとのこと。

まだ新しいアパートへは引っ越しができずで、
こうなったら4階のアパートへ帰ろう。
1週間くらいだ。きっと大丈夫だろう。

ということで、予定より早く、
9月21日退院した。 

退院後私はしばらく友の自由な時間を
あまり奪いたくなかったのと、
1人暮らしで実際何が困るか体験して
教えてもらおうということもあって、
あまり自宅へ行くことをあえてしなかった。

メッセージで日々やり取りをして、
あとは友も自由に出かけてたし、
友達とかと会ってたりしてた。

でも退院が決まるころから、
そして退院後から徐々に、、、
そして急速に、、。

「手のふるえ」

が目立つようになってた。
スマホの文字がきちんと打てないのだろう。

返事が常にコピペで同じものばかり。
「はい」
「わかりました」
「はい」
「はい」
「わかりました」
みたいになって、
明らかに文章も短くなった。 

放射線治療の効果はどうなんだろう・・。
新たに転移が出てきてるんだろうか・・・。

そして友の思考もやや支離滅裂な
感じになりつつあった。

時々あれ?と思うような返事が来たり、
それこないだ話した気がするんだけどっていう
ことが増えたり・・。

この時のことは数名のお友達などからも
変だよね、なんだろうねなんて
話も聞かれたりした。  

そしてついには、

「警察につかまる!」

というのをいきなり言うようになった。

例えばそれは何でもないことで、
書類をなくしたと思って慌てて
連絡してきて、

「ここにあるよー」

って写メで送ると、
「捕まる!?と思った。。。」
とかそんな感じで。

極端な思考になったかと思えば、
割とふつーにだらだらしてたりとか。

なんかスイッチはいる時と
そうでない時があるようで・・。 

病気のせいなのか何なのか。
ちょっと判別つかないことが多かったけど、
とりあえずは次の診察で聞こう。

そんな気持ちで見守ってる感じだった。
9月28日の再診でまさかそれが、
思いもよらない状態で友と会うとは
その時は全く考えもしなかったけど・・。

つづく。 





by sarah_51 | 2019-01-07 23:26 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし㉒「それは許されるんですか」


退院に向けて調整をしている頃。


事務的なあれこれが結構大変な時だったけど、
友は友で「退院」するということは、
1人暮らしをしないといけないわけで。

だから黙々とリハビリを頑張っており。
ここらでご褒美をあげてもいいのでは、、と
思うようになっていた。

そんな時、ちょうど!ほんとうに
グットタイミングで、

「ヤスミンにお土産があって」

と連絡があり。。

でもそれまで頑なに友は

「誰とも会いたくない」
「誰にも病院を教えないで」
「誰にも来て欲しくない」

と言っており・・・。 
まぁしかしこれはご褒美なので
致し方ないか、、と思って

「イケメン様が直々にお会いしたいと
 いいですか?イケメン様の方から
 直々にですよ!お会いしたいと!!」

と言うなり速攻OKが・・・
(全国の皆様大変申し訳ありませんw) 

というわけで。。。

某カフェにて極秘に「外出届」で会いまして。

イケメン様のお土産がこれ。 
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金沢の金箔!!! 

「もったいなすぎます、きゃー」

とかなんとか騒ぐ友。
もったいなくて使えない。。。
とかなんとかうるさい友に
イケメン様は、

「それならもうここで食べちゃいなよ」

という優しい諭し・・・。

「え~~!そんな、そんなああ・・アワアワ」
と言いつつ見よこの横顔だけど
ニタニタがわかる笑顔ww 

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しかもそんなお土産をもらえるとは
知らずに頼んだケーキにぴったりふぃっと♡ 

きゃーきゃー言う友を、
超絶あきれ顔の私がいましたが何か・・・ww

まぁ仕方ない。
というより、外出で人に会っても
元気に話せてよかったざますね。

という外出訓練を確認していた私。

実は会いに来てくれたのは
車椅子ユーザーのイケメン様。

自身も事故とはいえ、
何か月もの間、世間から離れて
リハビリ病院でずっと訓練し続けた
経験があって。

だから色々と、使う言葉がとても
友の心にぐっときてですね。 

お見舞とか言わず、
がんばってとも
あれはどうなのこれはどうなのとも
聞かず、でもちゃんと話を聞いてくれてて。 

友にもわかりやすいように
ゆっくり大きく話してくれて。

ってゆーか、喜びすぎだぞ友よ。

そして思い切りリハビリ用の服で
来たけどなwww 

ありがとうイケメン様。 


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でもね。
この日の後、彼女のこの自然な笑顔は
ある時までずっと。
出せなくなったんです。 

だからこの日のこの写真は
とても大切な笑顔写真になりました。 

つづく 


これまでの友と私の話はこちら。
↓↓↓ 






by sarah_51 | 2018-12-18 22:01 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし番外編「友の作品展をのぞいてみたらわかったこと」


これはタイムリーに書いておきたいなと。

友と友の相方の作品展があり、
いっしょに出かけてきたです。 

▽耳の聴こえない2人展 満ち満ちて・光 

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私が撮った作品の写真はこれだけ。 

あとはぜひFBページで見てみてください。 

初日から60名以上?の方達が全国から訪れて
ものすごい作品展になった様子。

なんとかこの日連れていけたらいいなと
思っていたけど、ギリギリ間に合って、
外出もできる状態になってよかった。 

来場者の方達が、

「アーティスト翠」

である友の作品を見て涙したり、
感激したり、心に得るものが
たくさんあったみたいで。

当の本人は

「背中かゆい感じw」

と笑っていたけど。 

私は作品展に行って実は
すごく不思議な感覚だった。 

そしてそのことを帰りがけ
友と話しながらやっぱそうだなと
思ったのは。。

「私の中では友はもう家族なんだ。」

ということ。

家族だから、普段は見ない家族の一面というか。

例えば父親や母親の趣味や友人たちと
いる姿を見て、へぇ~って思う感覚だろうか。

はたまた兄弟姉妹の家にいる姿とは違う、
仕事中とか知らない世界をのぞいた感じかな。

感動とか、うるうるとか。

そういうのではなくて、

「へぇ・・・」

と思いながら見ていた。
いやもちろんすごいねぇと
思って見てるんだけど。

わかるだろうか。
難しいな。

子供の発表を見る親とは違う。
それだったらもう3日間の開催中
きっと私はみんなに頭下げて
受付してると思う笑。

だからやっぱ姉妹かな。

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私にとっては、まだまだ
友との生活は続くわけで。

この写真は自分でとればいいのに、
お代わりのパウンドケーキを
私に取らせて、また食べるんか!
と思いながら甘やかしてるところ。

私にとっての友はまぁこんな感じで。

すごい人でもすごいアーティストでもなく。

食い意地のすごい
いろいろ手間のかかる人なわけで・・ww

特別な時間はあっという間に過ぎて。

また日常に戻るんだなという感じが
今、しています。 

展示会を全部やってくれた、
相方のソルちゃんこと、絵描きのソルトさんと、
素敵な石使いのりゅう店長にいつも
優しいヒデさんとパシャリ。 
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素敵な人たちに囲まれてよかったね。


おしまい 







by sarah_51 | 2018-11-25 22:39 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」と友と私㉑「なぜ私なのか」


ようやくリハビリ病院から退院できる
アパートが見つかった友。 

ところがもうこの頃友は経済的に
かなり大変で、もともと受けていた
障碍者年金だけでは難しく、 
生活保護の手続きをしていた。 

生活保護の人は自分で勝手に
引っ越しができるわけではない。

また病院側の都合もあるので、
勝手に引っ越し時期を延ばして、
その間入院させてくれというわけにもいかない。

なので私はこのアパート決定までに、

①区役所の生活保護課担当者に連絡
 引っ越し理由を告げ、引っ越しが可能か。
 可能であれば引っ越し代金は補助があるか。
 家賃などの問題がないか(保護費範囲をすでに選定)
 など相談。

②保護課担当者から主治医の病院
 ソーシャルワーカーへ連絡と
 状況・事実確認を依頼。

③主治医ソーシャルワーカーから
 リハビリ専門病院ソーシャルワーカーへ連絡。
 リハビリ病院退院後、主治医の病院へ
 戻って再入院・抗がん剤治療ではなく、
 退院の方向で進めてもらえるよう伝えてもらうことを依頼。

④リハビリ専門病院ソーシャルワーカーへ連絡。
 ①~③を進めておりアパート選定も
 終わったため、場合によっては入院期間の短縮、
 または延長があるかもしれないことを伝える。 

⑤①~④のことを不動産屋へ連絡。
 保護課に提出必要な書類、引っ越し代金の
 振り込み時期、家賃引き落としができないため、
 支払い方法の確認など含め鍵渡し日の調整。 

⑥引っ越し業者の選定と保護のため、
 区役所保護課への提出書類の依頼と
 引っ越し予定日での仮予約などを依頼。 

などなどの業務(もう業務と言っていいよね??ww)
を日々しており、時には出向いて話したりなんだりで、

今こうして思い出して書いていても、
もう2度とやりたくねーボケカスぅうう!
と思うけど、なんでやれてたのか不思議なほど
淡々とどんどんとやっていた笑。

でもすると友の状況を話す機会や
代理でこうして来ていることを
「耳の聴こえない友人ががんで入院中なのでー」
と理由を何度となく伝えることが増え・・・。

必ずと言っていいほど言われたのが、

「長いお付き合いの大切なお友達なんですね・・」

だったわけで・・。

「いえ・・まだ出会って1年くらいでしょうかぁ・・」

というと、

「え!それは、、、よほど繋がりが強いんですね」
とか、
「すごい出会いだったんですね」
「信頼関係がすごいんですね」
とか、
なんか色々言われたんだけど、
それまで考えたこともなかった、
そういえば、

「なんで私だったのかしら・・・」

という疑問が出たわけで・・(今さらw)

率直に友に聞いてみた。
なんで私に頼もうと思ったの?
って。

するとなんと・・・。

「それがね、わからないの」

っていう返事で・・・

おみゃーがわからんのやったら、
ワイがわかるわけにゃーですわw 

っていう変な脳内言葉になった記憶ww 

まぁでもその後そうだなぁ~
なんだったんだろうなぁ~
うーんとー、
えーっとー、

とあれこれ友が考えて言ってきたのが、

「いろいろ聞かなかったからだね」

と言ってきた。

病気だと友が私に伝えたとき、

「だいじょうぶ?」
「病院どこ?」
「体調どう?」
「痛いとこない?」
「きついとこは?」
「食べ物どうしてる?」

などなど何も聞かなかったからだという。。。

えええ!!!!(;´Д`) 

それじゃまるで私が何も
心配してあげない人みたいじゃあないか!

しかし、、しかしどうだったか
思い出せず、、、。
その日のブログを見て驚いたわ・・・。 


本当だwww 
「確認した3つは」

ーーーーーーーーーーーーー
①手術に至った経緯と診断・術式、入院期間と治療に関して
 筆談ノートと彼女の説明から理解度合いを確認

②どこまで誰に伝えるか、伝えたいと思っているか

③他に協力者は誰と誰か。どういう人たちか。
ーーーーーーーーーーーーー

だってwww 

(ほんとだった・・・・(>_<))

まぁしかしあれだ。
友はそれが「よかった」と言っているのだから
よかったのだww 

根掘り葉掘り聞かれるのが
ほんと嫌だったと言っていたので、
なんも聞かなかった
私はその時点で友にとって、

「安心」

できたのだという・・・。 

でもこの「色々聞かれる」
ということが友にとって、
その後もずっとずっと負担になり、
人を遠ざけていく原因にもなるのだった。

つづく 


これまでの友と私の話はこちら。
↓↓↓ 








by sarah_51 | 2018-11-18 22:50 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」と友と私⑳「夕食のそばに感極まる」


不動産屋でアパート契約の際の
本人確認で非常に苦労した後。


もう1軒だけ、、行ってみよう。

そう思って出かけた不動産屋さん。
ここに行くと決めていたわけではなく、
とりあえずその駅に行くと決めて、

ぐるっと見渡していくつかある不動産屋から
ふっと目に留まった目立たないところに
ある不動産屋さんに入ることに。

座ってすぐに、

友人のアパートなのですが。

と切り出し、

・耳が全く聞こえないこと
・現在入院中で退院先に階段のない場所を探していること
・退院日が決まっており〇日までに入りたいこと
・耳が聴こえないことで本人確認がネックになっており
 可能な保証会社と合わせて探して欲しいこと
・家賃や○○円まで、ワンルームでXX近辺で。

などをすぐさま伝えた。

するとその担当者の方の返事は、

「耳が聴こえないのは子供の頃からのものですか?」

という今までと全く違い、
オロオロするでも、いや~っと困った様子でもなく、
聞いてきたのだ。

「はい。1歳の頃の病気が原因です」

と答えると、ちょっとお待ちください。
とどこかへ電話をし始めた。

終わって伝えてくれた言葉に、
私はまたしても驚いた。

「今私の先輩に電話していたのですが、
 確か以前同じように耳の聴こえない方の
 アパートを見つけていたなと思いまして」

という・・・。

そして聴覚障害者であっても
受け入れてくれたその保証会社の名前を
聞き出してくれており、かつ大家さんで、
障碍のある方でも入居OKですよと
以前言ってくれたという物件のめぼしまで
その電話でつけてくれていた。 

テーブルに置かれたPC画面で、
受け入れが可能な保証会社と大家さんで
検索し、こことここあたりですが、
どうですかね・・。

という・・。

ありがたや・・・・(ノД`)・゜・。 

昔から間取りとか見るのが好きな私にとって、
その中からよさげな場所を選ぶのに
5分もかからなかった。 

「ここか、こちらのどちらかで契約します。
 明日本人といっしょに見れますか?」

そう聞くと早速鍵を確認してくださって、
明日見学できることに。 

「ありがとうございます!本当に!」

お礼を言って外に出た後、
私は興奮と感謝となんかよくわからない
震える手で友にメッセージした。

「物件見つかった!!
 明日見に行くから外出届出しておいて」

するとなんと、、、

驚く友の返事はさらに驚くもので・・。

喜びと驚きと、、というより驚愕の
コメントをいくつか送ってきた後、
ちょうど夕食の時間でご飯が来たと言い、、

「今日夕食!!!! そば!!!」

という・・。

2人で同時に

「引っ越しそば!!お祝い!!!」

と興奮してしまった。

友がいるリハビリの病院食に
実は「麺類」が出たことがなかった。

それだけに、このタイミングで、
「そば」が夕飯に出るなんて!!!

アルハムドリッラー!!!
(アッラーありがとうう!)

いったい誰がこの日このような形で
不動産屋さんで部屋を見つけると
知っていたでしょう。

いったい誰がその日の夕食をそばに
してくれるだなんて考えてたでしょう。

少なくとも私たち2人は何も知らなかった。

そして本当に窮地に追い込まれるようで、
いつも寸でのところで友はこうして
ぐうううっと!救い上げられるのだった。

猛暑で脱水かと思っていたあの日の頭痛も
たまたま私のサロンに来ていて寸でのところで
脳転移がわかり。

放射線治療ができる病院がない、、と思っていた
ところ寸でのところで症状が悪化し入院となり
無事ギリギリで治療が受けられることになり。

緩和ケアの受け入れがどこもないと思い、
老人ばかりの病院でのリハビリで最悪だと
嫌がっていたかと思いきや、
手話ができるおばーさんがいたり、
みなさん耳が遠くて大して変わらなくて
温かい人たちに恵まれたり・・・。 

友はいつもいつもいつも!!!

いろんな人たちに囲まれ、
様々な大変さをすり抜けて、
私にアッラーのその采配を現実のものとして
見せてくれ続けていた。 

あとは明日の物件を見て契約が進むことを
今日は祈って。。。

そう喜ぶ気持ちと共に、
私はどこか、

「今が良い時期のピークかもしれない」

そう思う気持ちも実はこの時
モヤモヤと感じていた。 

このモヤモヤがいったい何であるのか。
その結末がどうなるのか。
私にはまだこの時具体的には想像できていなかった。

でも本当はもうすでにその異変は
この時には起きていたのだと。
今振り返ると思う。 

つづく 















by sarah_51 | 2018-10-29 11:36 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」と友と私⑲「耳の聴こえない人のアパート契約はすこぶる大変!?本人確認という壁」


友のアパートの荷物整理という名の処分を
していた頃。

私は同時並行で1つの大きな壁に
ぶち当たっていた。

それは、

「聴覚障碍者の本人確認」

という名の、不動産契約の壁。

新しいアパートを探すべく、
私はいくつかの不動産屋を回っていた。

病院にも行きやすく、
1人で生活するとしても便が良く、
かといってこれからの生活を
ゆったりと過ごせる場所。

大筋目途はつけていたけれど、
いかんせん不動産屋で、

耳が聴こえない。

ということを言うと、
「保証会社がですねぇ・・」
と良い返事をなかなかもらえなかった。

何が問題かと言うと、
不動産屋が仲介する時、何か条件があれば
大家に電話確認している。

でも大家が耳が聴こえない人でも
別にいいですよと言っても、
(言わない場合もある)
保証会社が火事や災害の時、
電話連絡できないのは困る。
というような理由で嫌がるというのだ。

そのため、本人確認を電話で
させてもらわないと、、という。

( ゚Д゚)・・・。

それに去年あたりから民泊を不法に
する人らも多いとかで、本人確認が
やたらと厳しくなったとかならないとか。

( ゚Д゚)( ゚Д゚)・・・。

いやあんた、今私に電話して、
本人ですか?
って聞かれて、ハイって答えたら
それで終わるやろ?おかしーやん。
っていう・・・。 

いや、ほんとね。
本人なんなら外出届出して、
病院から連れてきますよ。

不動産屋さんが直接会って
確認してくれてもいいじゃないですか。
なんなら保証会社にでも連れて行きますよ。

と言ってみたものの、

4軒回ってどこもなんとも
キレの悪い返事ばかり。
しかも退院日が決まっていることもあって、
2週間以内に決定と鍵をもらわないといけない。
あまり待っている時間もなく・・。

さすがにくたびれて、
友のところに行って状況を伝えると、

「マジかー( ゚Д゚)・・・。
今までそんなことなかった・・・。」

と驚きつつも最後にこう言ってきた。

「私は自分のできることをがんばる。
 やれることをやって、
 その結末は何であれ身を任せる」

はっとした・・・。

入院中の友にできること。
私にできること。

そして私は一旦家に戻り、
急いで身体を清めて礼拝をすることに。

アッラーよどうか彼女に最善の方法をお示しください。
そしてその全てをどうか容易くしてください。

そう祈った後、私はどうしてもまだ
やりきれてない気がして、
夕方を過ぎていたけれど、もう1軒だけ。
もう1軒だけ努力しよう。
そして後はお任せしよう。

そんな気持ちで今までとは違う方向の
不動産屋を目指して出かけたのだった。

そしてこの結末に友も私も
震える想いをすることになる。 

つづく 














by sarah_51 | 2018-10-26 19:56 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし⑱「本当に持って生きたいものは何か」 


友がリハビリ病院でイケメン話で
おばーさんズと華やいでいた頃、


正直私は猛烈忙しかった。

理由は、

・友の部屋の掃除と業者選び、調整、その他
・友の部屋の物品処分と引っ越しの調整
・引っ越し業者の選定と調整
・引っ越し先選びと契約のやり取り
・退院調整と主治医病院とのやり取り

などなどをしていて、
あれこれ調べては連絡を取り、
できる限り安く、簡単で、どうにかできる方法を
模索していたから。

特に友の部屋はお猫サマーズ3匹の
猛烈な毛と毛と毛で、
私は玄関あけるだけでもかゆくて
たまらなくなるレベル・・・。

なので引っ越すといっても
その荷造りをするための準備は
色々本当に大変だった。

①お掃除本舗に床の絨毯をはがし、
 猫の毛掃除をしてもらう。
    ↓
②友にいるもの、いらないものを
 決めてもらう
    ↓
③不用品買取・処分業者にいるもの以外を
 全て処分してもらう

という流れで、毎日のように
友とはメッセージのみで、
あれはどうだ?これはいるのか?
これはもうダメだ。
などなどを聞いたものの・・・。

想像をはるかに超えた荷物で・・・( ゚Д゚)

さすがの私も

「新しい家はワンルームです。
 これだけは持って残りの人生
 生きていきたい。そう思うもの以外は
 処分してください」

と言う状態に・・・・。

それにしてもお掃除本舗ってすごいですね~。
HPにないプランでも対応してくださって、
何より、「迅速・丁寧・めっちゃきれい!」
にやってくれて・・・。

年に1度お掃除本舗で家を掃除するのも
いいかもな、、と思ったワタシですw 

はてさて持って行く品は
どうなったかというと。

あれだけ手放せない、
あれはこれだからあれだし、、
あれもこれだからあれなの。。

と言っていた友だったが、

「これだけは持って生きていきたい」

というものは実はほとんど
なかった、、という事実に
自分自身驚愕したようで・・・・。

驚愕の事実を納得し終えた後の
友の捨てぶり?は早かったっすねぇ。

それに想像以上にお猫サマーズの
毛がありとあらゆるモノに入り込んでいて、
衣服も含めてベッドもタンスも本棚など
ほとんどダメになっているものも多く、
曼荼羅や天描画に必要な画材など以外は、

「ほぼ全捨て」

の状態になりました。

ああ、、なんとデカイトラックよ・・。
という家族何人いたんだ( ゚Д゚)という
ほどの荷物もあっという間に業者さんによって
片付けてもらったであります。

残ったモノは本当に少なくて、

・冷蔵庫
・洗濯機
・食器(茶碗、どんぶり1個ずつ・箸、コップのみ)
・天井照明1つ
・PC、FAX
・風呂・トイレ掃除用品など

あとは曼荼羅に必要な道具類。
細々したものを
段ボールに入れても、
全部で5,6個程度になりました。

でも後に引っ越し終わってから思いましたが、
そこまで減らしてなかったら、
ほんとヤヴァかったです・・・。

でもそもそもたったの2週間で、
その家の主不在の中で、
引っ越し準備と引っ越ししなくちゃ
いけないなんて!!

今思うとようやれたなお前、、と
自分で言ってやりたい気分ですわ。
ぷんすか!笑 

しかーし・・。
ほんとここからがさらに大変で。

もうほんとどうなっちゃうのー!
と思うことがまだまだ続くのでした。

つづく 

















by sarah_51 | 2018-10-14 15:46 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし⑰「洗脳」

リハビリ専門病院で
なんとか過ごしているようだった友。


久しぶりに所要で病院へ訪れる際、
同部屋のおばーさんズにと思い、
焼き菓子を作って持参した。

めったにそんなことをしない私だが、
この日は何となくそんな気分で
部屋の方達と友が仲良くなったらいいなぁと。

「どうも~~いつもお世話になってますぅ~」

と挨拶しながら、
これよかったらと1口程度の
焼き菓子を渡したところ・・。

「これはどこの国のお菓子ですか?」

と聞くおばあさんが。

「アラブのお菓子です♡」

と答えると・・・。

「わあああああ!
 イケメンの国のお菓子よ~~~(*´▽`*)!」

と大喜びでそのままお口にほい~~っと。。

ま、、まさか、、( ゚Д゚)。

そしてその次リハビリから戻った
別のおばーさんに同じように
挨拶したところ、

「今日はね、イケメンの先生がお迎えだったの~」

という・・・( ゚Д゚)( ゚Д゚)。

友よ、、、。
犯人はお前だな・・・w 

たった1週間ちょっとの間に、
部屋中のおばーさんズが皆それぞれ、
「イケメン」
という単語を発し、
何やら華やいでいるではないか。。。ww

しかも友を迎えに来てくれた若い
理学療法士さんに対しては、

「あの人はイケメンじゃない」

と厳しい。。。

友がやたらとイケメンだという
人はどの人なんだ?
とふと思い廊下を歩いている際に、
今うわさの人はいる?
と友に聞いたところ、

「瞬殺で」

チラ見しただけで、
「いや、いない」
と答えたざます・・・。

( ゚Д゚)( ゚Д゚)( ゚Д゚)

イケメンはそない
秒殺で見分けられるものなのかww

友は「背が高いからすぐわかる」
と言ってたが、私には
皆同じ顔にしか見えない・・。
マスクだらけだしww 

それにしてもおばーさんズ・・。
友が日々イケメン、イケメンと
そんな話ばかりしてるので、
皆さんも洗脳されたらしい・・・。

病院にイケメンって重要なのねww

この辺りから少し友の頭痛が
おさまりつつあって、
夜消灯時間が過ぎてから、
談話室で1人点描画と呼ばれる
作品を少しずつ描くようになっていた友。

でもどうやらおばーさんズには、
それが机の上で何やら書いている

=学生さんで一生懸命勉強してる
=時々来るお友達も学生さん(私)
=若いのにがんばってるわ~

という脳内解釈で固定しているらしく、
友は何かとお饅頭をもらったり、
私にまで孫が持って来てくれたなんとかとか
なんとかとか、なんとかとか・・・。

行くといつも色々いただくことに笑

そしてさらに良かったことは、
おばーさんズは耳が遠かったり、
身体がうまく動かせなかったり。

つまり友の方がむしろ
元気に見えるというか。
動けるようになっていて。

何かと彼女がおばーさんズを手伝ったり、
そうかと思えば、おばーさんズは、
まるで孫のような娘のような、、
友をいつも気にかけてくれていた。

つらい合宿所のように思えた
この病院はいつの間にか
友にとって、優しさに包まれる
時間の中で自分を取り戻していく
大切な場所になっていたのだった。

つづく 





by sarah_51 | 2018-10-06 20:24 | 医療と健康  | Comments(0)