若い人byあのスルターンとスルターナの極めて平穏な1日


ふと歩いて出かけたらいきなり
旦那さんに遭遇した。

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本人曰く、「1週間前から何度も言った」
というのだが今日何しにどこへ出かけたのか
よくわかっていなかった・・・。

そして旦那さんも私が歩いてるとも知らず・・。

「あんた何してんの」
「歩いてると」
「なんでー」
「銀行行こうと思って」
「歩いてわざわざ?」
「あんたこそ何してると?」
「だから言ったじゃん・・以下省略」
「ほうね」

とやり取りした後帰宅したら。

「さあら、あのあとね、そこにいた人何人かに聞かれた!」
「なにを?」
「さっき話してたあの若い人誰?って」

「きゃあああああああああ(スピーチレスw)」

「いやいやあのですね、あの人僕より5つも上で、
 もうすぐ44になるんですよ!!って言っておいた」

「なんでそない細かく言うねん( ゚Д゚)むきょおおお!!」

「若いと言われて喜んじゃいかん。年齢をわきまえなさい。
 僕は30台でもう年を感じてる。20台にはついていけない」

「ついていかなければいいやん。」

「・・・・・」

「るん(*´▽`*)♪若いおくさーん(*´▽`*)♪」

「そりゃ60歳近い人らから見たら若いだろ」

「あんだってーーーギロン( ゚Д゚)」
 若い奥さんって言われて嬉しかろう??(*´▽`*)♪るん♪」

「・・・・」

ーーーーー
ちなみに奥さんだとは認識されていなかったらしい・・・。
なぜなら、

「マレーシア人?」
と聞かれどうやら若い外国人の子とでも
話してると思われてたようでwww

しばらく
「若い奥さんでよかったろー?(*´▽`*)」
「見えるってだけね」

を繰り返していた今日の夕暮れ・・・。

我が家は相変わらず平安です。
アルハムドリッラー。 

おしまい 

 







# by sarah_51 | 2019-03-17 19:37 | 旦那さまと私 | Comments(0)

世界の料理教室「エジプトのムサカ&ファラーフェル」開催報告


毎月開催している「世界の料理教室」。
本日は以前食べた際、感動して「ぜひ教えてほしい!」
とリクエストいただいたエジプト料理。

「ムサカとファラーフェル」

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エジプト料理はトマトベースの料理が多いのですが、
このムサカはなすとトマトがとっても
美味しい一品です。

ファラーフェルはコロッケなのですが、
中東各地で様々な形や食べ方があります。

エジプトのファラーフェルは特に、
このきれいな「みどり」の中身。

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ふわっとして周りのごまがまた何とも言えない
美味しさ!!

特別にレストランのシェフが
ナンを焼いてくださって。

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外国人の先生に教わっていると、
毎回色々な驚きがあるのですが。

今回の驚きは・・・。

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普通の文具バサミで切ってますやん~


でしたwww 

参加費の一部をシリア子供教育支援に
寄付しています。
今回のご参加のみなさん、
ありがとうございました! 

次回は4月6日(土)11時ー14時。
インドのパコラとサモサを
インド人シェフに教えていただきます♪ 

また今後主催とお申込み方法などが
新たに変わる予定です。 

引き続きどうぞお楽しみに!


おしまい 

▽エジプト料理教室イベントページ 

# by sarah_51 | 2019-03-16 21:27 | 料理教室 | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし㉜「再発検査と奇跡の声」


10月1日緊急入院し、4日に友が入院中に引っ越しを終え、
5日に9月指摘されていた腫瘍マーカーの数値から、
非情に広範囲の再発転移が考えられると言われていた友。 

友は2018年12月30日に亡くなりました。
看取りとその後はこちら→https://sarah51.exblog.jp/i31/

その検査結果を聞く10月5日。

この日、友は万が一退院できた場合に、
担当するケアマネさんと訪問看護ステーションの
事業所長が面会に来る予定だった。

朝のうちに病院に行くと、
友の表情は硬く、手先がぶるぶる震えていて、
緊張のせいなのか脳転移のせいなのか、
看護師さんに聞いても別段昨日と変わりないという
返事だけだった。

ケアマネさんと訪問看護師さんも
主治医に挨拶したいという。

私は友の緊張しているような様子と、
ここ数日のコミュニケーションの
取れなさ加減から、友が今再発転移の
説明を万が一聞いたとしても、
到底受け止められないのではないか。

と心配していた。 

そこで事前に婦人科外来の看護師さんに
そのことを話して、ケアマネと訪問看護師さんの
挨拶も一緒に主治医と面談できないか。

友へどこまでどのように話すのかも
その際に先生と話しておきたい。

そうお願いした。

あまりにも人が変わったように
生きる気力を失くしてしまっている友のことを
外来看護師さんも聞いていたらしい。

そうね、その通りですね。
そうしましょう!ちょっと待っててください。

とすぐ主治医と話をしてくださって。
事前に友にはわからないように、
私はケアマネさんと話をするとだけ言って
病室を離れることにして先に主治医と会い、

その後部屋に戻る頃に友が外来に
呼ばれるよう時間調整してくれた。

その後ケマネさんと訪問看護師さんと一緒に
主治医の先生にお会いし、
私は先生に現状の友の様子を伝えて、
もし検査の結果再発転移があるとしても、

「がんは変わらずあります。
 でも思っていたようなものはありませんでした。
 経過をみましょう」

という具合に話してもらえないかと
先生にお願いした。

実際のところどうなのかは
特にこの時聞かなかった。
あくまでもこちらのお願いを伝え、
あとは先生にお任せすることにした。

病室に戻って友と外来に呼ばれるのを
待っていると、病棟看護師さんが呼びに来て、

「山口さ~ん、移動しましょうか」

と声をかけたが車椅子でないと
移動できないほど友の動きは
普通ではなかったし、
歩ける感じではなかった。

友は何も言わずただでっかく
目を見開いたまま、
婦人科外来の診察室に入り、
私もいっしょに脇の椅子に座った。

先生はCTの画像を友に見せながら、
ノートにも説明を書いてくれた。

「これがリハビリ病院へ行く前の写真。
 ここが肺で、転移のあるところです。

 次が今回の写真。
 これが肺ね。やっぱり転移はあります。
 ここと、ここも。
 でも前とほとんど変わってない感じです。
 
 そのほかには目立った転移は
 ありませんでした。
 腫瘍マーカーがとても高かったので、
 再発転移を心配したけれど、
 今のところ肉眼で確認できるがんは
 今までの脳と肺の他には見つからなかったです。」

と説明してくれた・・。

友は手をぶるぶる震わせながら、
目を大きく大きく開いて
驚いたようにうなずいき、
その表情はとても安堵したように
こわばった顔から普通の顔に
戻っているかのようだった。 

退院したらまた経過診察に来てくださいと
次回の検査予約をとり、
友は深々と頭を下げて診察室を後にした。

私は病棟に友の車いすを押して戻り、
ベッドに友を座らせた後、

「よかったね。安心したね」

と友に話しかけたけど、
壁の方を向いたまま
反応はなかった。

でもあのほんの一瞬だったけど、
安堵したような表情を見せた友を
思い出して、私は不覚にもここで

友が壁の方を向いているのをいいことに、
そして耳が聴こえないことをいいことに、

涙を止められなくなってしまった。
それはもう嗚咽しながらで、
腕で何度も涙を拭うけど、
全然止まらなくて・・。

友にわからないように、
見えないように泣いてたつもりだったけど
もうじっとそこで動けないほど
涙してしまった。

その時だ。

私の小さくきゅっと握った手に
ふっと手を添えて、
小さくぽんぽん、ぽんぽんと
私の手を叩いたりさすったり。

そして友はまっすぐ私の方を向いて
こう言ってきたのだ。

「さあらさんは愛の人。
 今までも。これからもずっと。
 
 私はさあらさんが思うように
 生きていく。
 それでいい。」

そう言ってまた壁の方を向いてしまった。

はっと思い出した。
それは友が以前私をイメージして描いたという
曼荼羅の作品についていた友の言葉だ。 

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私はノートに、

本当はすごくすごく心配で、
転移のことも心配でたまらなかったこと
今回のことも心配で
もっともっと早く友の心の変化に
気が付いてあげればよかったこと。
誰にも相談できなくてつらかったこと。

いろんな気持ちを殴り書きするかのように
泣きながら書いた。

友は横を向いたままだったけど
私はもう友は聞いてくれてると
確信していた。

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また明日来るよ。

そう言っていつものように
友にハグした。

これまで全く反応がなかった
帰りのハグだったけど、

友は私の背中に両手の指を
ぎゅーーーーぅっと
爪を立ててハグし返してきた。

不思議と何も痛くなかった。
背中にくっきり爪の後が
残っていたけど。

私は友が自分で爪を立てて
ぎゅっとするのをやめるまで、
ずっとそのハグを受け止めていた。

後から思うとこれはまるで、

ナウシカのテトに

「大丈夫。怖くない」

と手を出して噛まれてるシーンじゃないか?

と思うほど、友は色々な恐怖と
不安と、混乱と。

いろんな気持ちをそのハグに
表現してたのかなと思う。

退院したら一人暮らししないといけない。

でもきっとできる。
できるようにするよ。

そう思いながら具体的に
何をどう進めようか。

あれこれ考えを巡らせていた。

つづく 







# by sarah_51 | 2019-03-13 18:48 | 医療と健康  | Comments(0)

ご夫婦そろった姿に涙。安田純平さん福岡で講演。


シリアで3年半もの間拘束されていた
安田純平さんが帰国後九州で初めて講演。

旦那さんがその主催者だったので私も
ほんの少しお手伝いさせてもらった。

100名募集の席は案内を出して2週間も
しないうちにほぼ満員となるほど。
当日は高校生や大学生などの学生さんも
含めてみなさんノート片手に熱心に
聞き入っていたのが印象的だった。

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実はこの講演会、ずっとずっと
楽しみにしていた。

安田純平さんを私が知ったのは、
311の震災の後。

当時私の友人たちがNGOとして2011年5月から
毎月のように東北へ出向き、支援活動をしていた。

そこにめちゃくちゃウマイ食事を作ると
評判のシェフとして参加していたのが安田さんだった。 

▽元イラク軍シェフとして登場している安田さん

当時私は後方支援をしており、
実際に安田さんに会うことはできなかったが、

みんなの信頼が厚くとにかく安田さんがいれば
大丈夫だ。という言葉をよく聞いていた。

そのため私にとって安田さんのイメージは
ジャーナリストというよりもこの
「軍仕込みの凄腕シェフ」
という印象が強かった。

その後安田さんがシリアで拘束されたと
聞いた時、心底驚いたしとても心配した。

とはいえ私は知り合いでもないし、
なんの繋がりもなく当日のNGOはすでに
解散していてなんの情報もなかった。

ニュースで流れるたびに、
本当はどうなんだろう・・。

無事であってほしい。

ただそう思うだけだった。

安田さんが解放されたという
ニュースにかじりつくように
安田さんを見ていた気がする。

3年半もの間拘束されやっと解放されたにも
関わらずトルコから日本へ帰国する
その飛行機の中で、記者からの配慮のない
質問が飛んでいたけれど、

それに答える安田さんの
尋常じゃない精神の強さと
ジャーナリストという職業でなければ
到底対応できないだろうその1つ1つ
誠実な答えに、

「ご本人のお話を福岡でもぜひ聞きたい」

そう思っていた。

シリアの話が出るたびに、
安田さんのお話が聞けたらいいよねと
いつもいつも口にするようになっていて。

今回の講演の話が旦那さんに
知り合いづてに打診が来た時には、

「やります!って言って!!早く!!!」

と内容うんぬんでなくせかしてしまった笑。

講演会当日お迎えに伺って、
我が家のボロ狭い車の後ろの席に
安田さんと奥様が座った時、

私は思わずウルっと来てしまって。。

ああ、、本当に無事に帰国してきて
くださったんだな、、。

と感じたのです。
初めましてなのに、なんかそこに
お二人の「家族」として
そこにいる、、というその様子が
TVや報道で安田さんお一人を見るよりも
さらにリアリティとして安堵した気がする。 

講演会の準備などはその多くを旦那さんに
任せきりだったので。
色々ハプニングがありすぎだったけど、
相変わらず周りの皆さんにアレコレと
助けていただいて。 

シリア人の学生さんも来てくれて
手伝ってくれたりとほんと助かりました。

安田さんに実際お会いして改めて

「純平」

という漢字そのままの方だなぁと思うほど、
混じりけがなく、ありのままで、
人ってあんなに家族とも世の中とも
引き離された苦境にあったとしても、

その人格や優しさを失わずに
いられることがあるんだな・・。

と思うと同時に、その最も大切なものを
守ってくださり、誰よりも戻ってくることを
信じて待ち続けていた奥様と再会できる
機会をくださったアッラーに心から
感謝した次第です。 

お二人の間をどうか絶え間ない愛情と慈悲で
満たしてくださいますように。 

それにしても!

奥様との会話を見ているとほんと
自分たちもああいう夫婦でありたいなぁと。
思うようなお二人でした!

かわゆいご夫婦♡ 

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ぜひ安田さんの講演会開催の時には脚を運んで
ご自身の目で、耳で五感で感じてほしいです。

人生について、社会について、未来について。

きっと何か考え、感じる機会になると思います。

おしまい 


▽安田純平さん福岡講演イベントページ
▽日刊スポーツ 安田純平さん政府関与を否定






# by sarah_51 | 2019-03-10 11:01 | こんなことがあったよ!! | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし㉛「ひっこしは 本当にする?」ICUでの日々。


救命センターに入院していた友。
数日後ICUの四人部屋へ移動した。

友は2018年12月30日に亡くなりました。
看取りとその後はこちら→https://sarah51.exblog.jp/i31/

ほとんど会話をしなくなっていた友だけど、
病棟スタッフの筆談には必要範囲
応じるようになっていた。

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それでも、「生きる」という
気持ちが弱くなっているのか、
何も荷物を持ってきてほしくないようで、
必要な水も500mlのペットボトル2本。
その2本だけ買ってきてと言うだけで、

念のためと1本多く買ったり、
おやつなど持って行くと
押し返すようにして断ってきた。

4人部屋の廊下側のベッドの上にいるか、
脚をおろして座っているか。

人と会うことに非常に恐怖感を
あらわにしていた友は、
面会中もカーテンがほんの隙間でも
開いているとまるでゴキブリでも
見たかのような怯えた顔で、

じっとその隙間を見たり、
カーテンの下から同じ部屋の
患者さんへ向かう医療者の脚が
見えると、ずっとそれをコワゴワと
覗いて目で追っていた。

それでも10月4日の引っ越しを
私は進めてることや、
段ボールに何を入れたよとか、
色々な確認も必ず友に聞いてから
するようにしていた。

最も大切な確認。

それは11月に予定していた
友の個展だった。

「翠」

という名前で曼荼羅アーティストとして
活動していた友。

子宮頸がんはまさにその活動を
広げようとしていた矢先に見つかった。

この個展は彼女が病気と向き合い、
何よりも描きたいと思って
つらい治療もリハビリも乗り越えて
また新たに生きていこうとする
その力を持つものだった。

だから開催できるようにしたい。

でも、私にはもうそのこと自体が
友にとって負担でしかないと
思っていた。

個展をするには本当にたくさんの
確認事項があって、1つ1つ
色々なことを考え、希望を聞き、
自分で決めていかないといけないことが
たくさんある。

でも今の友にはもう、
それはただの負担でしかなく、
友のやりたいことでないと感じていた。

アーティスト「翠」には
相方の「ソルト」さんという人がいて、
2人のアートを融合させた、
「幻想まんだら」という作品があった。

このソルトさんに作品展をお任せすることにし、

私は「山口泰美」という人を、
そして相方のソルトさんには、
アーティストとしての「翠」の
面倒を最期までみてほしい。

ソルトさんと私は友がいつまで
生きていられるかわからない中で、
お互いにお互いができることを
彼女の人として、アーティストとしての
命を預かる気持ちで取り組むことにしたのだ。

友にそのことを伝えた後、
作品についてどうすればいいか。
書いてもらった。

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そしてこの日以来、私は個展に関しては
お任せすることにして、
友の日々に時間を使うことにした。

数日後友はふいにこう書いてきた。

「ひっこしは 本当にする?」 

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「行くよ、行けるよ」

私は笑顔で友の顔を覗き込み
そう答えた。

それ以外、何をするっていうんだ。
必ず友は退院して家に行く。

私はそう信じてた。 

10月4日、

そして友の引っ越しは
友がICUにいる間に無事終わった。

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友が好きなブルー系のモロッコ模様の
カーテンを新しく新調して。

いつもゴキブリ見たかのように
驚いて怯えた顔をしてるか
貞子のようにどよんどよんと下を向いて
座っているか。

私のスマホを覗こうともしなかった友だけど、
このカーテンのついた部屋の写真を
見せたらチラっと。

チラット見たんですよ。

その日私はニヤニヤニヤニヤしながら。
見よった見よったよ。
と嬉しくてですね。

翌日5日、婦人科の主治医との
再発転移がないか診察を受ける前に
友に良い兆しが見えたことを
喜んでいたのでした。 

つづく 


# by sarah_51 | 2019-03-08 21:24 | 医療と健康  | Comments(0)