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友を見送る最期の10日間。「ALL OK♪」に生きた日々とは? 


「友」は2018年12月30日、13時16分。
搬送された病院で両手を私と、いっしょに介助をしてくれてた
弥生さんに握られたまま、いつ亡くなったのか
わからないほど穏やかに息を引き取った。

44歳。子宮頸がんとわかって10か月。
イスラム教徒になって3か月。 

友は光になったのでも星になったのでも
天国にいったのでもなく、
今は大分別府の墓地で眠っています。 

彼女が最後に持っていたものは、
首に巻いたスカーフとメガネ、
あとは着ていたパジャマのみ。

保険証などを出すのに私が持って行ってた
友のリュックの中にあったこの手帳。 

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そこに挟んであったのは、
まさに友の最期の様子でもあるこの3つ。

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「ALL OK♪」と「イケメン」と「いつでも今を全力で生きていく」

なんとまぁこの通りに生き抜いたなぁと。

友を知る人たちも多く、
そして最後まで一人暮らしを全うした
彼女の様子をここに残しておこうと思う。

「脳転移」友と私。 シリーズはまだまだ
継続中だけど、この記憶を先にとどめておきたいので。
先にこの10日の出来事を書いておきます。 

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12月19日(水)
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私は2週間ぶりに友の家を訪問した。
5日から私は仕事の出張で1週間会えない
予定だったがその後かなり体調を崩してしまい、
友がやたらと私を心配するため、遠慮なく
1週間休みをもらった。 

その間訪問看護師さんやヘルパーさん、
週に1回買い物やランチなどをお願いしていた
友人の弥生さんからも友が変わりないと
聞いていたためだ。

でもこの日久々に見た友の顔をみて、
すぐに第六感のようなものが働いた。

「おかしい」

様子を聞くとなんとなく倦怠感が強い友は、
頭痛がおさまらないこと、珍しく腰が痛かったけど
ロキソニンを飲んで1日でそれは良くなったこと、
首のリンパ節のしこりが以前より大きくなってること
など気になることを色々と言ってきた。

「明日先生の受診日だから聞いてみようね」

とだけ伝えて背中のリラクゼーションなどを
行って横になってもらった。 

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12月20日(木)
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15時半、途中から変わっていた
緩和ケアの主治医を受診。

「最近はどうですか?」

の質問に頭がまだ痛いです。
程度しか言わない友に代わって、
様子を伝えた。

「変化してきてますね」

という医師と私の意識は同じで、
痛みのコントロールを常時開始するに
あたり一度検査をしておこうということに。

急遽だったが血液検査、CT、MRIを実施。
1時間後結果をざっと見せてもらった。

もう夕方で疲れてるだろうからと言いながら、
医師はざーっと前回と今回を比べながら、
ここね、あとここ、それにここ。
と次々すごい勢いで見せていたので、
友には「あとで話す」と伝えて話に集中した。 

結果は想像を遥かに超えて転移が広がっており、
もともとあった脳転移と肺転移はその数も
大きさも増え、他に肝臓に非常に大きな転移が見られ、
ちょうど友が痛いと言った腰の骨にも転移があった。

また、友は2度自宅で転倒しているが、
その際にできた傷から頭の皮膚もがんができており、
それが痛みのもとでもあった。 

「痛い時だけ飲むのではなくて、ひどく痛くならないように
 1日3回お薬を飲んでいきましょう。それでだいぶ
 痛みが楽になると思いますよ」

と友に説明してくれ友はとても安堵した様子だった。 

帰りがけ私は友に結果をどこまで聞きたいか?
と聞いたところ、「わからないままより知っておきたい」
と言ったので、今日はゆっくり寝て明日メッセージする。
と伝えて自宅まで送った。 

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12月21日、22日 
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残された時間がそれほど多くないかもしれない。
そうおもった私は以前友がもう1度会いたいと
言っていた「イケメン」ともう1度会えるか
聞いてみようか?と聞いた。

「え!めっちゃ嬉しい!」

と喜んだ友に、あーはいはいまったく
イケメンだと返事が急によろしいねぇ。
と笑って言いながら連絡を取った。 

イケメンには25日か29日。
友が会いたいと言ってるのだけど
可能かと聞いたところどちらの日でも
大丈夫だと速攻返事をくれたので、
早いほうの日で25日を選んだ。 

昨日の結果はメッセージで全て医師の言葉
そのままに伝え、友は「聞いてよかった」と
言っていた。 

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12月24日(月)
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自宅訪問はできなかったが、
メッセージで友と明日のおデートは
行けそうか体調を聞いてみたところ、
速攻で
「楽しみ!」
という返事が、、、。

薬のおかげでだいぶ痛みも緩和されているようで、
ややぼーっとするけど痛くないという感じだった。

何を着ていこうかなー。
何か持って行ったほうがいいかなー。

イケメンだから何も持ってこなくても
喜んでくれるよなどなど、、、。

まー本当にうっきうきで華やいだ会話だった笑。 

明日は私は仕事なのでと、友人の弥生さんに
送迎をお願いして3人で楽しんでねと伝えて終わった。

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12月25日(火)亡くなる5日前
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デート当日の朝、体調を確認して、
行ける!という返事に安心し、
イケメンへも問題ないのでよろしくーと
連絡をしてその日私は仕事に行っていた。

送迎してくれた弥生さんから、
とっても楽しそうだったと写真が。 

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なんだ結局いつもと同じ服着ていったのか笑。
そう思いつつ。。。
友にもよかったねーとメッセージして、
喜びの返事を聞いた。 

この日友はちょっと寄りたいと、
デートの後本屋へ行き、闘病中の
「幡野さん」
の本を購入したらしい。
以前からずっと読みたいと言ってたなぁ。

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12月26日(水)
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夕方自宅を訪問してみると、
友はずっと寝ていたようで、
浮腫んだ顔がなんとも縦長になっており、
ずいぶん寝たなー。
外出でやっぱり疲れたかな?

など言いながら少しまた
背中全体をリラクゼーションのために
ゆっくりさすっていた。

この時、両腕と太ももに紫斑があった。
痒くはないけどどうもこの2日くらいで
出てきたようだという言う。

あまり気にせず今度先生に聞いてみよう。
とだけ伝えたが、リンパ節の腫瘤も
たった1週間で相当な大きさに腫れあがっており、
その勢いを感じざるを得なかった。 

1週間、10日もつだろうか、、。

恐らく自分で食事を作るとか大変なのでと、
お湯を入れれば食べれるものや、
友が毎日食べてたヨーグルトやバナナなどを
持って置いておいた。 

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12月27日(木)
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緩和ケア医師を再度受診。
先週から出してもらった薬が
効いているかどうか年末年始もあるので
来ることにしていた。 

迎えに行く前朝メッセージがなかったので
薬を飲まないとなのでご飯を何か
食べるように声をかけて、、。

まぁ我々の会話はいつもと同じで
こんな感じ・・笑 

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痛みはうまくコントロールできており、
それほど痛がらなくなっていた。

紫斑や首の腫瘤なども伝えたが、
医師も痒くなければあまり気にしなくていいし、
何かできるというものでもないのでと。

私は万が一のこともあると思い、
医師に、
「以前はトイレに一人で行けなくなったら
 入院しましょうという話でしたが、
 最近の様子からどうでしょうか」
と聞いた。

そうですね、、と言いながら、
恐らく脳の症状が出てくる可能性が強いので、
トイレに行けてたとしても痛みが強いとか
ふらつきがあるなど1人で不安な様子であれば、
いつでも相談してくださいと。

本人もそれを聞いてちょっと安心していた。 

けれどこの日の夜私は非常にリアルに
友が翌日集まる鍋会の後、倒れて声をかけ、
救急車を呼ぶ夢を見ていた。

朝起きた私の手には、ぎゅうううっと
握りしめ続けていたらしい爪の後が
くっきりと手のひらについて
しばらくとれないほどだった。 

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12月28日(金)亡くなる2日前 
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元々は初旬に体調を崩した私の
復帰祝いと言って鍋を作ってくれるという
話があったのだが、それならせっかくだからと、
ムスリムだけで集まって鍋をすることに。

私のサロンに何もかも用意してくれて。 

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18時くらいに集合にしようと言っていたけど、
友はこの日自分でバスで行くといい、
あまりにうっきうきしすぎて早く着き、
思わずスタバに行くとこだった!!!
とか言いながら1番ノリでやってきた笑。

このネギと美味しい鶏肉だけのだし汁も
早速試飲して、すごいねー美味しいねぇ・・・
ととても喜んでいた。

ソファーとか横になる場所がないので、
せめてと思い壁側の椅子に座ってもらい、
しんどかったら壁に頭をつけていいよ。

と言っていたけどそれほどでもないと言い、
終始楽しそうに、そして自分から鍋の
お代わりまでして、私と同じくらいか、
それ以上にか?美味しいね美味しいねと
たくさん食べた。 

1月3日が友の誕生日だけど、
この日お友達がケーキを用意してくれてて、
もう前祝いだねー!と言いながら、
ケーキも食べて。 

何歳になるんですか?と
聞かれて、
「45だよね」
と私が言うと頑なに、
「まだ44歳です」
ときっぱりwww 

ご飯の後でおなかいっぱい、
疲れただろうに、赤ちゃんを
抱っこしたいと言って。 

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友はもともと実はあまり子供が好きではなかった。
曼荼羅教室なども子供はできれば避けたいと
言っていたし、耳が聴こえず友の言葉を
なかなか理解してくれない子供は苦手だったようだ。

でもこの日友は赤ちゃんに自分から
手話で「また会いましょう、またね~(*´▽`*)」
と話しかけていた。 

本当は1時間くらいで帰そうと思っていたのに、
結局2時間ちょっといっしょに過ごして、
自宅まで送っていった。 

ちょっと胃のあたりが痛そうにしていたので
心配してメッセージしたけど。  

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とても満足だったらしい。
赤ちゃんとの3人の写真がとても気にっていて、
FBへも出していいよと言ってきたので、
近況として出させてもらった。 

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12月29日(土)
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翌朝私は何とも言えない心配があって、
夜の外出はかなり久しぶりだったし、
たくさん食べて疲れただろうし、、と
朝メッセージをした。

いつもなら友の方が先に起きていて
すく既読になるはずが、なかなかならない。

でも時々疲れて寝てることもあるので、
また午後に様子見てみよう。

そう思って仕事の前に13時頃友の家に行った。
インターホンを押すが出てこない。
メッセージも既読になっていない。

訪問看護師にも連絡して、
もしもの場合があるかもしれないのでと、
再度訪問することを伝えた。

15時すぎて再度自宅に行くと、
状況は全く同じ。
ドアにはチェーンがかかっていて入れない。
朝風呂に入ると言ったいたので、
風呂場で倒れているかもしれない。

そう思いつつ、でも正直私一人で
その状況を見る自信がなかった。

訪問看護師さんを待って一緒に中へ。 

ベッドの上で倒れている友を発見。
看護師さんが声をかけるも反応がなく。
再度私が肩を叩いて顔をぐっと近づけると、

「ああ・・・」

とわかったわかったという感じで
私の顔を認識したようで返事をした。

よかった、、、生きていた。

その場で看護師さんが血圧などを測定する間に
那珂川病院へ搬送したい旨を連絡、
救急車を呼んで看護師さんが言うバイタルを
伝え、貴重品やその他持って行くものを準備した。

病院に着くと友は次第に意識が戻ってきて、
私とふつうに会話ができるようになった。

「頭と背中、胃の辺りがとても痛い。
 バッキバキな感じ」

と言い検査が終わったころには、
もう少し落ち着いて状況を聞くことができた。

夜まではまったく問題なく眠れたようだ。
朝起きてその後どうも変だったらしいが、
そのままベッドに倒れてしまったらしい。

枕元にはインタホーンで強い振動が起きるものや
光センサーなどもあったけど残念ながら、
それとは反対側に倒れこんでしまったので、
私の訪問に気が付かなかったようだった。 

「なんか食べれるかな、いや無理か・・」

とこの大変な時に食べたいと言ってきたけど、
とりあえず先生に確認して私が持ってた
ピーチティを飲ませることに。

すごい勢いでごくごく飲んで、
「おっけー」
のサインを出してきた笑 

少しどこかへ行こうとすると、
「また来る??」
と聞くため随時声掛けしながらそばにいた。

病院では緩和ケア医師が夜勤にいなかったので、
外から非常勤で来ていた医師が診てくれたが、

「今後の治療についてはどのように話してますか」

と言われ私は状況を理解した。

「全ての緩和ケアの説明に本人同意してます」

と伝えた。
それはつまり、これ以上の積極的治療や
延命治療はしないことを意味している。

この時脳や肝臓の出血が激しく、多臓器不全の
状態に陥っており実際問題もう手のほどこしようが
ないとはこのことだ、という状態だった。

正直友と私が普通に会話できていることが
神の援助と計らいである以外
なんであろうかと思う状態だった。   

事前に友がサインした書類もあったので、
家族ではない私が勝手に決定するのではなく、
今どこの病院にいるかも本人わかっていること
と合わせて、それではと緩和ケア病棟へ
そのまま入院させてもらうことになった。 

病棟へ移動するまでの間時間があったので、
友に、入院したことや今の状況を
他の人に伝えてもいいか?と聞いた。

けれど友はわざわざ酸素マスクを外して
はっきりと、

「いやだ」

と言ってきた。
友は以前からもう誰にも病院も家も教えたくない。
会いたい人はいない。
と言っていた。

でも友は会いたい人はいなくても、
友に会いたい人はいるのでとちょっと思ったのだ。

でもこうもはっきり言われたのでは仕方ない。
私はすべてが終わるまで誰にも言うまいと思った。 

「わかった。しーってしとく」

と言って内緒にすることを言うと、
友はふっと笑ってうんうんと私の
手を握りながらうなずいていた。

痛みがかなりきつそうだったが、
そういう時に言うといい、

「ラーイラーハイッラッラー」

というアッラー以外に神はなし。
というアラビア語を友はずっと
言いながら耐えていた。 

状況が少し変化したのは夜8時を過ぎてからだろうか。

友は時々ベッドの柵を乗り越えようとしたり、
置きがったり寝たりを繰り返すようになった。

「なんでこんなに身体が重いのかな、、」

そう言いながら布団をはいだり戻したり。  
人が亡くなる前、こうした現象が起きることは
私は以前身内でも体験していた。 

「先生、痛みではなくもうせん妄の時期かと思います。
 できれば鎮静をお願いします。可能な限り会話が
 できる範囲でお願いしたいです。」

と伝え病棟にあがった。 

夜9時すぎ、無事病室に入院し、
少し薬が効いてきたのか友が時折じっとするようになり、
まだ上を向いたり横を向いたりはしているけれど、
今夜、、ということはないだろう。
ここからが私も体力勝負だ。。

そう思って私は友に、そろそろ私は帰ろうと思う。
と言うと、いつもと同じように、
「あ、うんうん。気を付けて」
と。
「何か心配なことはある?」
と聞くと、
「ううん、何もない。ただちょっとまだ痛いだけ」
と返ってきた。

せん妄の中あっても友はありがとうを
忘れずいつもと同じ。

緩和ケアの医師からは、年内、、いや年を越せるか。
とにかく厳しいとだけ言われた。
柵を乗り越えて転倒をしないようにだけお願いしますと
伝えその日は帰宅した。  

ーーーーーーーーーーーーー
12月30日(日)
ーーーーーーーーーーーーー
朝病院から少し顔色が悪いようだと
連絡があり急いで9時過ぎに病院へ行った。
同時に弥生さんへも連絡。
できれば早くに来て欲しいとだけ伝えた。

もう1度彼女と話をさせてください。

そう祈りながら病院へ向かった。 

でも着いてみると友は意識もあり、
私に気が付いて「おはよー」と言うと、
うんうんと手をにぎにぎしてきた。

後からすぐ弥生さんも到着し、
私たちは互いに声をかけたり、
なんだりしつつも徐々に友の状態が
落ち着いていった感じがしていた。 

看護師さんも朝より私たちが来てから
ずいぶんよいようだと。

訪問看護師さんも様子見に来てくれて、
また夕方に見に来てみますねというほど
今すぐとは思えない状態だった。 

少し、、足の裏が紫色になりつつあったが、
肩呼吸などなく、今晩か明日だろうか、、と
思える状態だった。 

私は夜以降は何も時間が取れないかもと思い、
弥生さんと今のうちに昼ご飯を食べようと誘った。

友にもご飯食べてくるね。
と伝えると、うっすら目を開けて
ダメだとは言わなかった。 

病院からすぐのうどん屋で1時間もないほど
たわいのない話をしながら食事をして、
病室へ戻ると、友の様子が変わっていた。

横を向いたまま顔色が悪い。 
肩やほっぺを軽くたたきつつ、
ナースコールを押した。

息が止まっているのか、、
いやまだ生きているかな、、。

一旦身体を上向きにしてもらったが、
呼吸をしている様子はなかった。

でも汗をかいたそのおでこや
身体はまだじっとりと温かく、
心臓は動いているようだった。 

友の顔は目を閉じていて、
スヤスヤ寝ているような、
なんだろう?と言ってるような。

弥生さんが右手を、私が左手を。
両手を握ってそっと声をかける時間が
数分ほどあっただろうか。

すーっっと汗が引きじっとりとしていた
おでこや顔全体がさらさらになった。

亡くなるとき大きな息をする人もいる。
でも友はそうした息も目を閉じていく様子も
何もなく、私たちはいつ亡くなったのか、、
と思うほどのその数分を過ごし、
看護師さんに先生を呼んでもらった。 

私は友が死んでしまったら、
号泣してしまうと思っていた。 

でもあまりにも、え?もう?
というこの出来事に正直私は今でもまだ
本当なのかなと思っているくらいだ。 

インナーリッラーヒ ワインナーイライヒラージーウン。
本当に私たちはアッラーの許よりきて、
そして本当にアッラーの許へと返り逝きます。 

彼女の生きた最期の10日間は、
本当に全てオッケーとイケメン、
そして「今」を生き抜いた最期でした。 

1人暮らしの耳の聴こえない友が、
彼女の人生を彼女の望みの通り、
全うできたのは神さまと彼女の関係性において
とても愛されていたからであろうと思う。 

友と私。の話はまだ続きます。

今日のブログは本当に長いですが、
読んでくださって心から感謝いたします。

















by sarah_51 | 2019-01-02 18:00 | 友と私。 | Comments(2)

Commented by ゆうこりん at 2019-03-13 19:03 x
はじめまして。
2年ほど前、アメブロで翠ちゃんと仲良くしていた者です。
翠ちゃんが亡くなったこと、今朝、たまたまブログを巡回していて知りました。
子宮頸がんから回復するあたりからブログを訪問しておらず、
てっきりいつも通り曼荼羅をアップしてると思っていたのですごくショックでした。

友と私。のシリーズ、
私にとっては翠ちゃんの知らなかった時間を埋めてくれる
掛替えのないものです。
詳細に書いてくださって本当にありがとうございます。

そして、身元引受け人になってくださり、
翠ちゃんの最期を支えてくれたこと
感謝でいっぱいです。

翠ちゃんとのラインはいつも笑いが多くて、
でも真剣な話もあって、
曼荼羅とオネコさまが大好きで、
そんな姿をブログを拝見していて思い出、涙しました。

翠ちゃんにこんなに力添えしてくれるお友達がいて
本当に良かったです。
ありがとうございました。
Commented by sarah_51 at 2019-03-16 22:06
> ゆうこりんさん
コメントをくださって本当にありがとうございます。

「私にとっては翠ちゃんの知らなかった時間を埋めてくれる
掛替えのないものです。」

この言葉に涙がどわっと来てしまいました。。

私たちはいつも面白おかしく楽しく会話していました。
きっとそれはゆうこりんさんがしていたLINEのような
ものだったと思います。

彼女の病気は想像以上にとても大変なものでしたが、
そんなことを不思議と感じない相変わらずの友が
そこにはいました。

本人らしさをずっとそのままに生きていける人は
そう多くないと思いますが、ぜひ翠のそれまでの
おバカでウハウハなところを胸に覚えていて
やってください。

本当にコメント、ありがとうございます。
ゆうこりんさんのような方たちがいるんだと
思って、もう一息、友の最期までを
書ききりたいと思います。