友と私。していてよかった「生前整理」と頼んでよかった「遺品整理」


亡くなった耳の聴こえない1人暮らしの友。
葬式も終わって色々な処理をしていた私。

アパートの退去日が埋葬されてから
たった2週間後という速さでしなくてはならず。

それだけではなく、「遺留品」という中には、
私が扱いきれないものもあったわけで。

事前に見積りに通常部屋に入ってもらって、
それから契約→当日片付けになるんだけど、
そんな時間がなかったので、

とにかく1月15日にそのまますぐやってくれる
業者を探して依頼した。

私の頭の中に、何がどれくらいあって、
どれはどうして欲しいかは全部あった。 
なので申し込みの時点で見積りしてもらうことができた。

友の荷物は正直なんとかがんばれば
私と弥生さんとでどうにかなる量だった。

でもなぜそれを業者に頼んだのか。
理由はいろいろあるけど、

・「処分」するのが辛すぎるから。
・退去までの期間が迫りすぎだから。
・リサイクルショップでは扱えないものもあったから。
・安くあげる必要性はなかったから。

というのが大きな点かな。

処分が辛いっていうのは、
一旦仕分けに入った時、
薬とか、食べ残しとか、
汚れものとかは少しゴミ袋に入れたんですよね。

でもね。
ゴミ袋に入れていくの
けっこう心に応えるんですよ。

その点ベッドが介護保険で
レンタルしておいてほんとよかった。

ベッド見てね。
けっこう心が辛くなる人たちの話
聞いたことあったんですよね。
介護当事者の方から。

そこにまだいるような気がして、
とてもじゃないけど片付けが
進まないっていうのも聞いたし、

実際私の近しい人で、
奥さんが亡くなって何年もの間、
奥さんの部屋に入ることすら
できないままだった方がた。

それに友はすでに亡くなってる
お父さんの位牌とか、時計とかね。
遺品を持っていたりして。

でもそんなのリサイクルショップに
売り飛ばせないでしょう? 
ゴミにもできないし。

それに1つ1つ使えそうなものを
リサイクルショップにとやったとしても、
それで得たお金、どうするのって話ですよ。

自分のだったらそのお金で
ちょっとランチとか
帰りにお刺身買ってくかーとか
するかもだけど。

人のものだからね。
罪悪感でまくるでしょう?

ということで、
「遺留品処分業者」
に頼んで心底よかったです。

頼んでよかった理由は、

・片付けの間そこにいなくてよかった。
・捨てられていく様子を見ないで済んだ。
・貴重品や証明書など取り忘れてたやつもちゃんと
 見つけ出して渡してくれた。
・何もかもきれいにしてくれた。

というところでしょうか。 

ほんとあっという間にきれいになって。
友といっしょにアパート選ぶ前に
見に来た時と同じくらい。
きれいになって、もうそこには
友の香りも、面影も、何もなかった。

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まぁ引っ越して結局2か月半だったからね。
住んだのって。

でも明るくなったこの部屋を見て、
ああ、、よかったなと思った。

片づけをする前は、
モノが無くなって捨てていく様子を
想像するだけで、きっと号泣しちゃうんじゃないかって
思ってたんだけど。

全然泣かなかった。

そして弥生さんと心底、
「本当に」
やっておいてよかったね、、と
思ったのは、

「生前整理」

です。

このアパートに引っ越すために、
友の荷物は亡くなる3か月ちょっと前に、
一旦整理・処分してるんだよね。

その時はものすごーーーーい
荷物で、友もいろいろ捨てきれなくて。
あーだこーだいいながらも、
でも結局ばっさりと捨てた。

あの時整理してなかったら、
あの膨大な量の荷物を、
いくら遺留品処分会社にお願いするったって
すごい大変だったと思う。

だいたいこれはどうするのか、
これは残すものなのかとか
全然わからなかったと思うから。

残っていた衣服はだいたいあげたものか
最近買ったもので新しかったから、
着れるものは全て海外の支援に送ったし。

急に亡くなる人は仕方がないと思うけど、
もし何か余命がわかるような病気になったら、
自分もすぐ生前整理しようと思う。

残される人の負担を少しでも減らせるように。
そして自分の意志をそこに伝えられるだけの
量であるように。

押入れの奥の旅行バックから
友の宝箱がでてきて。

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開けたらそこには私がいたよ。

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なんだよ。
恥ずかしいじゃないか。

でもってこの奥には
友達が描いてくれた絵が入ってた。

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美しく描いてくれすぎだけども笑。

けっこう好かれてたんだなぁ友に。
特別聞いたことなかったから。

そして何より私と弥生さんは、
この遺品整理が終わった日から、

なんともまた不思議な感覚を感じたんだよね。 
また書きます。 

つづく。 


# by sarah_51 | 2019-01-19 22:06 | 友と私。 | Comments(0)

友と私「葬儀の後で、、」


12月30日に亡くなり、翌31日に土葬された友。


想像してみてください。

家族ではない人の遺体をですよ。
洗ったりなんだり。

うなされそうですよね。

でも31日の夜私は久しぶりに不思議と
とても良く眠ったんです。

いっしょに色々手伝ってくれてた
弥生さんも同じことを言ってた。

私たちは友が亡くなる1週間以内は、
弥生さんはひどく頭痛がしてたらしく、
私はひどい悪夢や体が痛くて凝ってて
きつかった。

思えば友の辛さを3人でほんの少しだけど
分け合ってたのかしらと思うほど、
31日は良く寝れて。

ところが。

そこからがちょっと大変だった。

当然だけど元旦という気なんて全くしない。
初めて「おめでとうございます」の
「おめで、、、」でさえ言えなかった。
出てこないのだ。
出せないともいう。。。

SNSで流れているニューイヤーの
挨拶などが他国の遠い話のようだった。

その日は私たちにとって
「ただ葬式が終わった翌日」
というだけだったから。

だからゆっくり休もうと
思っていたけど、
すこし持ち帰っていた
友のカバンや巻いていたスカーフや
メガネなど。

匂いってすごくて、
どれもこれもが友の香りが強くて、
うちのものじゃないことがすごく感じる。

それだけに存在もぐっと入り込んでくる感じで
それが友が「見守ってくれてる」とか、
「そばにいてくれてる」なんて
生易しいものじゃない。

言葉に表現しがたい複雑な
気持ちにさせられ気持ちはとても重かった。

旦那さんの正月休みが元旦と2日だけで。
いつもなら旦那さんのばぁちゃんのお墓へ
行くんだけど。

その同じ墓に友も埋まっているわけで。
埋めたばかりの墓がちゃんとなっているか、
見ておきたい気持ちはもちろんあった。

だから旦那さんにも、
墓を見に行こうと話していたけど、
実はその言い方は、
「ばぁちゃんに会いに行こうかね、、」
だった。

友を見ておきたい。
でも身体が動けなかった。
見に行けない・・・。

何度となく旦那さんに
行くのか行かないのかと
聞かれたけど、結局私は
自分のこの行きたいけど行けない気持ちを
表現できないまま布団をかぶってしまった。

「飯はまだか」

という旦那さんの言葉にも、
「飯を食う意味があるのか」
とさえ思うほど、無意味で
何もしたくない気持ちだった。 

そしてもう1つ。

「暗がりが怖い」

という妙な感覚が出た。
トイレや洗面所、お風呂や
玄関など先に電気がついてないと
なんとなくゾッとする感覚があり、
ずっと電気をつけっぱなしにしていた。

弥生さんはこの時やっぱり同じような
感覚があったらしく、友がその暗がりで、
暗い顔してるような気がして怖かったと言ってた。

いやほんとだったらマジ怖いけど、
まぁそんなはずはないんだけども。

でも私にはまだやらないといけないことがあって。

・生活保護受給担当者へ連絡、先に入金されてた分の返納
・介護保険関連
・介護ベッドなどレンタル品の返却立ち合い 
・障碍者手帳
・年金
・看取った際の病院費の支払い
・アパートの大家・不動産屋へ連絡
・退去関連の事務的続き
・荷物の整理
・光熱費関連契約解除の連絡
・携帯電話

などなどなどなどで。

やらなくちゃいけないけど、
全然気が進まず。
幸だったのは正月で役所関係が
みんな休みだったこと。

それを理由に正月明けから
のんびりやるか・・・。

そう思ってたのだけど。

1月4日に生活保護・障碍者担当者から
電話連絡が入って。

この人はほんといい人で。
ほんとなら最後会わせてあげたかったけど、
役所が休みだったから連絡できなくて。

30分くらいだったろうか。

本当にゆっくりゆっくり、
友が亡くなるまでの生活のことや、
どんな風に過ごしてたのかとか。
看取りの時のことやその後のこととか。

いろいろ聞いてくれて、
励ますでもわざとらしく共感してますよっていう
頷きでもなく、自然にあれこれと話して。

それで私も色々な手続きを
私がどこまでするべきか。
どこからはもう家族ではないのでと
手放してもいいかなど相談してみた。

家族とは絶縁状態とはいえ家族はいるわけで。
でも友が「絶対連絡してくれるな」という
意志をこの方も立ち合いでしっかり聞いてたので、

本来は遺骨が残っていると
それをどうするかということで遺族に連絡が
いくらしい。でも今回友は遺骨がなく、
そのまま土葬だったので特に役所として
連絡する要件はないとのことだった。

残った家財は少ないけれどやはり遺留品だしということで、
遺留品処分業者に入ってもらうことに。

役所関係のことはたいていその方が
連絡をいれてくれてやってくれることになり、
私は一部返却物だけ持って行くだけで済んで。

もうその日のうちにやるか・・。

と思ってたら福祉用具会社さんから連絡もあって、
1月9日にベッドをもう取りに来るという。
大家さんは、退去日をもう連絡くれた
1月4日にして料金精算してくれるとかで。

1月15日には掃除終えて鍵置いておいてとか
優しいようなそんなすぐですかって感じになってしまい・・。

あぁ・・・部屋かぁ・・。

正直アパートが。。。。

1人で入りたいと思わなくて。
この気持ちはどうにも表現できない。

とにかく友の家に向かう道でさえも、
通りたくなくて、友といっしょに行ってた
スーパーも、友がよく買ってた肉とかおやつとかも
見るのもなんか、、、っていう感じで。

1月3日が本当は友の誕生日で、
亡くなった時は冗談で友が食べたいと言ってた
ケーキを買って食べよっかーとか
弥生さんと笑ってたのに、

2人ともとてもじゃないけど
友が好きだったものだなんて
見れませんよっていう状態になってて。

ケーキ屋を通るのも嫌だし、
見るのも当然嫌。
買うなんてとんでもないし、
なんかもう見たくない感じ。

そんな気持ちを私は弥生さんにも
伝えて、いっしょにアパート来て欲しいと
お願いして。

そしたら弥生さんも同じような
気持ちで過ごしてて。
あぁ、、、あるある。
あったあったなんて。
2人で言いながら、ベッドを回収してもらう間、
少し片づけをしたりして。

残すもの、送るもの、
片付けるもの(これはもう放置)を
ざっと選別だけしてその日は終わった。

会社勤務とかだったら身内で亡くなっても
忌引きは1週間くらいだろう。

そろそろどうにか動いてかないとねぇ。

なんて思いながら仕事は再開していた。
仕事があってよかったなぁ。

自宅へ訪問リハビリに行くんだけど、
同じ家に行くっていっても
当然だけど全然雰囲気はちがうし、

当たり前だけどみんな生きてるから、
あれやらこれやら色々しんどくて。

生きてる人をとりあえず大事に
しないとねなんて思いながら、
仕事して。なんとなく食べて。
ブログ書いてちょっと気持ち整理して。

でもやっぱり話がしたくて、
弥生さんを誘ってランチに行って。

友の話だけじゃなくて
あれこれいろんな話して。

それが少しよかったなと思う。
同じ体験をした人と気持ちを共有して、
であとはたわいない話。

で迎えた1月15日。

あらかじめ調べて予約してた
遺留品処分業者さん。
なんとですね・・。

すげーイケメン来たんですwww 

一旦部屋の中を見て段取り話した後、
2時間くらいかかるというので、
他でゆっくりしててもいいですよと言われ。

私の車で弥生さんと2人で
出かけてることに。

車に乗った途端私たちは同時に

「なに( ゚Д゚)これ!あのイケメン!!」
「ヤスミンはほんとイケメン引くわ!!!」
「マジでー!なんか前もイケメン清掃業者だったよね( ゚Д゚)」
「そうそう!イケメンだったマッチョ!」

とまー「イケメン」何回言うねんっていう。。

このオドロキは忘れられないw 

長くなったのでここらへんで。

つづく 








# by sarah_51 | 2019-01-18 22:56 | 友と私。 | Comments(0)

「辛いのが苦手」でも美味しく食べれちゃう!インドの「サグカレー」♪


月に1度開催しているお料理教室。
今回は七草、、、ならぬ
インドの「ほうれん草(サグ)カレー」。

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インド料理屋さんにいくと大抵ありますよね?

でもどうやって作ってるんだろう~?
と思って今まで不思議でしたが、
本場インド人のシェフに直接教えてもらって、

「もうたまらん!!」

っていうほど美味しかったです。

味の決め手はこれ!

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このカスリメティという葉っぱの
乾燥したものを入れるとまさにあの!味!になるんですよぉ。

とはいえ、まぁなんと言いますか・・・。
スパイスの分量などはほんと見てても
ざざっとでして・・・。 

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自分でやりながら覚えるしかないですねぇ笑。

ほうれん草は今回は冷凍の
カットほうれん草を使ってました。
インドのほうれん草と同じ味だそうですよ。
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そしてこの日は特別にスパイスご飯も! 

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シナモンとカルダモン入りのこのご飯も
甘くて絶品でした!!

そしてこのサグカレー。
辛いのが苦手なうちの旦那さんも
「美味しい・・」
と食べてました(*´▽`*) 

ちょっぴりチリを入れてあったんですが、
ほうれん草の甘さなのか、
甘みがあるんですよ。

次回の料理教室は2月9日(土)
どうぞお楽しみに~ 

おしまい 


# by sarah_51 | 2019-01-13 20:37 | 料理教室 | Comments(0)

「脳転移」友とわたし㉕「友が聞きたかったこと」

改めて主治医から「来年はない」という
告知を受けた友。
*友は2018年12月30日亡くなりました。㉓からは友が
 亡くなってから振り返って記事を書いています。

私たちは近くの広い公園に向かって
ヨロヨロ歩いていた。

「あっちに行こう」

という感じで私がベンチのある方を
指さすと友は、

「時間は大丈夫?」

と聞いてきた。
その日私は旦那さんが夕飯がいらなくて
ゆっくりできたので、
大丈夫だよと歩き出した。

「1人になるのが怖い」

小さくそうつぶやくように友が言い、
うんうんと言うように肩をさすって
あそこに座ろうと返事をした私。

そこからどれくらいの時間
過ごしただろう。

たぶん4時間くらいいたかも。

泣くでもなく。
叫ぶでもなく。
怒るでもなく。
あれこれ話すでもなく。

ただ友と私はそこに座って、
何を話すでもなく、
何を見るでもなく、
ただ、そこにいた。

目の前で小さなお子さんとお父さんが
ボールで遊んでいて、
天気はまぁまぁ良かっただろうか。

緑の葉っぱが時々
風で揺れて、その合間から
光がさしたりなんだり。

ふっと風が吹くと
友と私はその葉っぱを見上げたり。
見ているというか、感じているというか。
感じてもいないかな・・。

診察室で友が主治医に余命を聞いた後、
私は先生に「末期の状態ということですね」
と再度確認していた。 

主治医はまだ抗がん剤をする気ではいたが、
希望すれば緩和ケアへ移行できるのかを
確認したかったからだ。

主治医の返事は
「そうですね。そのように捉えて良いと思います。
 治療に関しては次の検査で最終的に相談しましょう」
ということだった。

私は身近な人でこうやって余命などを
聞くのは友で3度目だった。 

1度目は旦那さんのばぁちゃん。
「残念ですが時間がもうあまりありません」
だった。

その日私は世の中の全ての色と言う色が
なくなったような感覚で外に出て、
何を見ても色を感じず、
「魂の色」
が世界中のどんな美しい花や
空や、緑や、モノよりも
美しいものか知り涙が止まらなかった。

2度目は昨年6月に亡くなった同級生だ。

急性骨髄性白血病で治療中、
病気は改善して元気になってきていた矢先、
脳出血で意識不明になり余命を伝えられた。

その時私はご主人から本人のラインに
本人の代わりに書かれた文章でそのことを知り、
隣の部屋にいた旦那さんが
飛んでやってくるほどその場で
倒れこんで泣いていた。 

3度目の友は・・・。

なぜか不思議と静けさだけがそこにあった。
私は友が余命を伝えられたというよりも、
どことなく自分がそう言われたような
感覚で、そこにいる子供もお父さんも、
そこにある木々もこの風を感じることも、

もうしばらくしたらなくなるのか。

そんな気持ちでじっと静けさだけが
そこにあった。

友を励まそうとか、
何か声をかけなくちゃとか、
いっしょにいてあげなくちゃとか。

そういった気持ちもなく、
不思議となんとなく何かに時の流れを
ゆだねるようにしてそこにいた気がする。

そしてふとなんとなくそうしたらいいような気がして、
友の頭を私の肩にもたれるように
抱き寄せて、肩にそっと手を置いてみた。

友はびっくりするくらい、
遠慮なく私の肩に寄りかかってきて、
そのままずっと動かなくなった。

友の身体からは哀しみや
辛さやしんどさとか、
そういった何も感じさせるものはなくて、
わたしと同じ、なんか「無」の感じだった。

ずいぶんと時間が経って、
日が傾いて来た頃、友がおもむろに
寄りかかっていた頭と体を起こして、
ノートを出した。

聞いてきたことは2つ。
「神さまのこと感謝のこと」

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私たちはゆっくり色々な話をした。

友が聞いてくるままに、
私は答え、また友が聞くという感じ。

神さまはある人に良いことを望むと、
その人を試練にかけます。

というところで、友はびっくりして、
「バチが当たった!ではない」
と書いている。

ずっとずっと自分を責め続けて、
ずっとずっと自分が犯罪者で、
ずっとずっとそのせいで病気になって
それで神さまも何もかもが
自分を見放したと思っていたようだ。

また友は小さい頃耳が聴こえなくなったことすら
母親に理解されず激しい虐待にあっており、
父親もまた疎遠なまま自殺していた。

人間関係でもたくさんの苦労をして
人が離れていくことも経験しつづけてきた。

どこか揺るぎないモノの触れた
感覚はなかったのかもしれない。 

私は神さまと人を比べることはできないけど、
神さまの忍耐強さと慈悲は底なしに
すごいぞ。自分が弱く、何もできないと
わかって初めて人は心から感謝をしたり、
悪かったなぁと思えるけど、
元気な時はなんでも自分でできると思い込んでいて、
なかなかそんなことを考える機会もない。

だから今友が自分がそんな存在だと思って
いるんだとしたら、神さまはなおのことそんな友を
絶対に見放したりしないし、
自分の弱さに気が付いた今はむしろ良いことの
始まりだよというような話をしたと思う。 

だとしたら、「必ずいい方向にいきます」。 

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この時の言葉を後に友は弥生さんにも
辛いとき指でなぞって話してくれたらしい。

私は励まそうとしたわけではなく、
ただ真実を伝えただけ。

これからの不安や起きうることではなく
この時私と友はそれまで以上に
「生きる」
ことについて話していたと思う。

だいぶ日が落ちかかってきて、
そろそろ行こうかとなり、
もう今日はお弁当買って行こう、
そうしようと言って、

近くのデパートの地下で
こないだ食べたら美味しかったよ
という弁当を見て、2人で同じ弁当を
買って車で家まで送り届けた。

じゃあまたね。

ご飯食べるんだよ。

と言いながら。
そして私はこの日のことが、
2日後に彼女の人生に大きな決断を
させるとは全く思いもしないまま

とりあえずご飯を食べれそうで
よかったと帰宅したのだった。 


つづく。 



 



# by sarah_51 | 2019-01-12 22:03 | 医療と健康  | Comments(0)

「脳転移」と友とわたし㉔「告知」


リハビリ病院を退院し、
脳外科・婦人科の再診の日が来た友。
*友は2018年12月30日亡くなりました。㉓からは友が
 亡くなってから振り返って記事を書いています。


脳転移の放射線治療効果が出ているかを
聞くのがメインの診察だけど、
婦人科の受診もあって全体的に状況を
再度見直すための診察だった。 

退院前から少しずつ変化を感じていた友が
当日までにノートに自分が気になること、
聞きたいことを書いてきていた。

でも。

その診察当日の友はたった1週間で
まるで別人のようになってしまっていた。

ひと言でいうなら、

「岩」

のようになってしまっていた。

友とは病院の待合室で待ち合わせだった。
確かにそこに友はいた。
自宅からバスですぐなのでバスで来たと思う。

でもまるで岩のようになった友は、
まっすぐ前を向いたまま、
反応がほとんどなかった。

会話にならず、先生に聞きたいこと
書いてきた?と聞くと視線を変えることなく
ぶるぶる震える手でカバンを開けようとし、
手伝うとノートをおずおずと見せてきた。

少し前に書いていたのだろう。

それほど震えはないけれど、
それでも元々の友の字とは異なり、
緊張している様子が伝わってくる文字だった。 

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友は子宮頸がんと診断された時、
まだ初期のがんだと言われていた。

でも手術をした際、そのがんは想像以上に大きく、
悪性度の強さを医師も私も感じていた。 

脳転移がわかった際、
「治療をしなければ」
ひと月もたないだろうと言われたけれど、
それも治療ができたので、
友はそこまで自分の時間が短いとは
思っていなかったところがある。

治療がうまくいった場合でも、
多くの人が半年から1年のピークであると
説明を受けていたけれど、それも
あくまでも統計上のものであって、
長い人もいるし、もっと短い人もいるという
話だったし、

また脳外科の先生は主治医ではなく
あくまでも「脳」の状態から言っているだけであり、
主治医からいわゆる「余命」を聞いたことは
本人はこれまでなかったのだ。

診察当日血液検査と脳のMRI検査をして、
まずは脳外科から受診した。

なんとか友を立たせて診察室に入るも
先生とは会話にならない。

友には言わず先生にだけわかるようにして
私は先生に伝えた。

「この1週間で急激に震えと様子がおかしくて。
 転移の影響なのかどうなのかよくわからない状態です」

すると医師からの説明は驚くもので。

「MRIの結果はとてもよかったですよ。
 治療前と比べて浮腫みがかなり減っています。
 がんそのものも小さくなってます。
 薬を少し減らして調整したいと思います」

という返事だった。

それを聞いた友は目玉を大きく見開いて
驚いた様子だったが、それ以上の反応がなく
医師が薬の減らし方を説明する間、
何度となく

「わかりますか?」

と聞かれたがもはや後で説明しておきますとしか
言いようのない状態だった。
ノートに減らし方を書いてもらった。 

浮腫に使用していたステロイドを
少しずつ減らしていくというもので、
間違って飲むと急にけいれんなどを
起こしてしまう人がいるため、
十分注意するよう説明を受けた。 

診察室を出て待合室に座ると、
友はふっと力が抜けたように硬い岩から、
小石みたいになった。

私のその時書いてきたのは、

「余命を聞くことしか考えてなかった。
 おくすりとか、むくみとか、
 へらすとか、たずねられて、
 何も考えてなかったことに
 隠そうとしたことに 
 ごまかそうとしたことに
 申し訳ありません。」

だった。

いいんだよ、いいんだよと
言いながら肩をさすっていい子いい子と
頭を撫でた。 

少しほっとしたのだろう。

友の表情は次の婦人科主治医の
診察までの間にだいぶ緩んできた。

そして主治医に呼ばれ婦人科診察室へ。

「脳外科の先生の話は聞きましたか?」

という出だしに私も友も、
心少なからず軽い頷きをした。 

ところがその後聞いた言葉は、
そこからまるでジェットコースターで
急落下したようなものだった。

「腫瘍マーカーがかなり上がっています。
 かなり強い反応で他に転移がある可能性があります。
 次回首から下のCTを再度撮って確認します。」

さらに、、、転移・・・。 

場所として考えられるのは、
骨盤内(腹部)、骨、その他の内臓とのことだった。

何か聞きたいことはありますか?
という医師の言葉に友はおずおずと、
ノートに書かれた文章を指でなぞった。

「私の余命を」

のところで、手が震えていた。

主治医は友の方にしっかりと向いて、
ゆっくりとわかるように説明を始めた。
時折ノートにも書きながら。

「私たちはいついつというはっきりした
 時間がわかるわけではありません。
 でも検査結果などから言えるのは、
 少なくとも「年単位」では考えられない。
 ということです。
 
 数か月かもしれないしもう少し長いかも
 しれません。でも来年またこの同じ時期が
 あるかといえば残念ですがそれはないと
 思います。」

「来年は、、、、」
と再度聞く友に、

「ないということになりますね・・・」

と。

この日の診察で肺の転移に行うはずだった
抗がん剤の件は、一旦保留として、
10月5日に再度CT検査をしてから、
最終判断をすることになった。 

友の希望である「曼荼羅を描きたい」
という気持ちと、次の抗がん剤で
しびれが出るようであれば、
曼荼羅に支障が出るため希望しないという
ことも私の方から事前に聞いていた希望として
この時伝えた。 

友は聞いているような聞いてないような。
固まってはいないけれど、
それほど反応もなかったのもあって、

わたしと主治医は次回の診察日と検査時間を
スケジュール帳を見ながらすり合わせ、
友に次回はこの日ねと言って、
とにかくまた次回診察でという感じで、
先生に頭を下げて診察室を出た。 

そこから私はどうやって会計したり
なんだりしたか覚えていない。

恐らく私たちはずっと無言だった。

薬を薬局でもらってその後、
私たちはどちらが言うでもなく、
病院の前にある大きな公園に
ヨロヨロと歩いて行った。 

長い、長いあの日の時間を
私はとても強く覚えている。

つづく 

 



# by sarah_51 | 2019-01-11 21:40 | 医療と健康  | Comments(0)